大神比義命
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大神比義が568年(欽明天皇29年)に勅命を受けて豊前国に入り、神社を建立したり祈祷につとめ、その子孫は宇佐神宮の創祀や宮司職に関わっていたとするものである。のちの710年(和銅3年)には勅定を得て宇佐神宮を建立し、その子孫は祝氏、小山田氏の2氏を始めとして数百の家に繁栄したという、中野幡能の説。 .mw-parser-output .templatequote{overflow:hidden;margin:1em 0;padding:0 40px}.mw-parser-output .templatequote .templatequotecite{line-height:1.5em;text-align:left;padding-left:1.6em;margin-top:0}宇佐郡大神比義(敬神祟祖)欽明天皇廿九年應神天皇の神霊八幡大神の御名を顕し奉りて朝廷に奏聞し 神主と成りて常に奉仕し後 復元明天皇和銅三年 鷹居山にて神勅を受け 辛島勝乙目と共に朝廷に奏聞し 勅定を得て 始て八幡大神の宮殿を建て奉仕せり 此即ち大神氏の祖にして 子孫祝部 小山田の両家を始め数百家に繁栄せり —大分県教育会『修身科郷土資料集成』 養老4年(720年)の隼人の乱の逸話に、宇佐八幡に神託を仰いだ朝廷に対し八幡神が「我ゆきて降しおろすべし」と自ら征討に赴いたというものがあるが、このことにも祭司であり武家であった大神氏の関与がありうる。 大神氏は禰宜職、及び後には大宮司職を継ぎ、769年の道鏡事件の頃に宇佐氏と争ったという逸話もある。ただし小山田氏は宇佐神宮を離れていない。
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大神比義命(大神祖)
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霊媒(神道者)。568年(欽明天皇29年)豊国に入り、宇佐郡馬城嶺に大菩薩として出現した応神天皇の魂を祀るために鷹居八幡神社(宇佐神宮の前身、鷹居社)を建立した。571年(欽明32年)には託宣により誉田天皇広幡八幡麻呂(八幡神)を奉斎した。 子孫に春麻呂、諸男、田麻呂と大神杜女は大神朝臣を賜った。 宇佐八幡宮に大神祖(大神比義)神社がある。
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