大神氏流藤林氏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/16 23:32 UTC 版)
北九州の古族である大神氏の庶流。後に藤原氏と称した。鎌倉時代初期の武将緒方惟栄の玄孫文光が初めて藤林氏を称し、また緒方氏とも称した。その孫朝定が足利尊氏に仕えて多々良浜の戦いなどで活躍。以後、室町時代を通して足利氏の直臣として活動し、山城紀伊郡横大路に居城した。永禄の変で足利義輝が殺害されたのを機に足利家を辞し、近衛家、織田氏、豊臣氏に仕えた。豊臣秀吉が死去した後は綱久が徳川家康に出仕。また綱久は曲直瀬玄朔に医術を学び、以後は江戸幕府の医官として仕えた。 横大路の本領は同じく足利氏に仕えた庶流の家が継承して、江戸幕府旗本となった。大和国で代官を代々務めたが、惟真が幕命に背いたために処刑。嗣子も切腹となり断絶した。
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