緒方惟栄
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緒方惟栄(おがた これよし、生没年不詳)は、平安時代末期、鎌倉時代初期の武将。豊後国大野郡緒方荘(現在の大分県豊後大野市緒方地区)を領した。通称は三郎。諱は惟義、惟能とも。大神惟基の子孫で、兄弟に惟長、惟隆、惟憲がいる[1]。
- ^ さとうたくみ「「緒方家譜」による三輪一族と豊後大神氏」『佐伯史談』第180巻、佐伯史談会、1999年2月、28-37頁、CRID 1050001337653724160。
- ^ 『平家物語』によると、惟栄は主従関係を結んだ亡き重盛の子平資盛と話し合って、平家を迎え入れるように説得されたが、惟栄は「院宣には逆らえません」と述べただけであった。
- 1 緒方惟栄とは
- 2 緒方惟栄の概要
緒方惟栄
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惟基の5代の孫で緒方氏の祖である緒方惟栄は平安末期、源頼朝が以仁王の命に応じ平家に対して挙兵したあと(治承・寿永の乱、源平合戦)、養和元年(1181年)に豊後国目代を追放されて源氏につき、元暦元年(1184年)には平家についた宇佐神宮を焼き討ちにしたり葦屋浦の戦いで戦勲を挙げるなど大いに活躍し、従来の支配階級に代わり武士勢力の存在感と支配力を強めた。
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