戒壇院設立とは? わかりやすく解説

戒壇院設立

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 21:24 UTC 版)

東大寺の歴史」の記事における「戒壇院設立」の解説

唐の高僧鑑真失明するほどの艱難辛苦の末に難波にたどり着いたのは、大仏開眼1年後の、天平勝宝5年753年)のことである。それまで正式の戒壇のなかった日本からの要請にこたえ来日したもので、鑑真大仏殿西に戒壇院設立し聖武天皇多くの僧に戒を授けたこれまで東大寺の僧といえば羂索堂衆だったが、寺内整備完了する奈良時代終わりころから、この戒壇院でも鑑真法脈伝える僧が活動をはじめることとなった東大寺戒壇は、下野国薬師寺大宰府観世音寺三戒壇数えられ平安時代作られ下野薬師寺代り発展していった比叡山戒壇とともに多く官僧生み出していった。このことは日本仏教大きな影響及ぼし日本から大陸渡った僧も一人前比丘として扱われるようになったまた、受戒してからの年数――つまり法臘戒臘とも)は年功序列制の素となり、寺院内で身を立て出世していくための「武器」として重視されるうになる

※この「戒壇院設立」の解説は、「東大寺の歴史」の解説の一部です。
「戒壇院設立」を含む「東大寺の歴史」の記事については、「東大寺の歴史」の概要を参照ください。

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