戒律を列挙する作品
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/05/13 21:04 UTC 版)
「613のミツワー」の記事における「戒律を列挙する作品」の解説
実際のところ、613の法を展開した究極の一覧はない。このような相違は、トーラーが類似する法を数箇所で列挙し、同時に、一節が単一の法を論じているかどうかを知るのが困難であることに起因し、あるものは別々の事例として、あるいは別々の分離した法としてリストする。他、トーラー中の「戒律」は一度限りの行為に限定され、特定の人物に結び付くものについては「ミツヴォット」とは考えられないであろうとするもの。ラビ学(en:Rabbinic literature)には多くの作品があり、主に[リショニーム]]によって、これら目録の戒律の所属のように構成がなされた: ラビ・サアディア・ガオン(en:Saadia Gaon)による セフェル・ハ=ミツウォート(『戒律の書』)は、613のミツヴォットの現存する最初期の目録である。ゲオニームの時代に書かれたガオンの作品は簡素な一覧表である(が、後に Rabbi Yerucham Fishel Perlow が発展させた)。 マイモニデスによる、ナフマニデスの批判的注釈を伴う セフェル・ハミツヴォット(『戒律の書』)(en:Sefer Hamitzvot)。マイモニデスはリストへの包含に際し、14の規則 (shorashim) を使用する。この作品において、彼はミドラシュ・ハラハー(en:Midrash halakha)及びゲマラからの引用を用いて、各々のミツワーへの彼の詳述を裏付ける。ナフマニデスは多くの批判点を指摘し、一覧表の若干の項目を他のもので置き換える。 セフェル・ハヒヌーフ(『教えの書』)。この作品は全体として、マイモニデスによる613の戒律の推計に従う。これは(マイモニデスの作品のような)種類別編成ではなく、戒律がトーラーに出現する順序で書かれる。加えて戒律と関連する法の短い概略を加えて列挙し、セフェル・ハヒンヌーフも同様、ミツヴォットの哲学的な理由を説明しようと試みる。著者については諸説あり、最も一般的なのはバルセロナのラビ・アハロン・ハレヴィ(ラア)であるが、真の著者は不明である。 ラビ、クーシーのモーシェ・ベン・ヤアコブ(en:Moses ben Jacob of Coucy)による、セフェル・ハミツヴォート・ハガドール(『戒律大書』)。 ラビ、コルベイユのイツハク(en:Isaac ben Joseph of Corbeil)による、セフェル・ハミツヴォート・ハカターン(『戒律小書』)。この作品は詩の形で書かれ、7つの節に分割され、各週に読まれることを意図されている。イツハクの作品が短いのは確かだが、大抵の版が長い解説を含む。 ラビ、メッツのエリエゼル(en:Eliezer ben Samuel)による、セフェル・イェレイーム(『畏敬の書』、明確な列挙ではない)。 イスラエル・メイール・カガン(en:Yisrael Meir Kagan、ハフェツ・ハイム)による、セフェル・ハミツヴォート。ハフェツ・ハイムの作品はマイモニデスの推計に従うが、今日でも意味を成す戒律のみを提供する(神殿の礼拝、儀式上の清浄、その他の戒律を無視する)。もっとも、原典はあらゆる時と場所で意味を成す戒律のみであったが、後の版ではイスラエルの地において意味を成す農業の法を含んだ。
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