内田守
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内田 守(うちだ まもる、1900年6月10日 - 1982年1月17日)は、日本の医師。歌人としてのペンネームは内田 守人(もりと)と称する。九州療養所国立療養所菊池恵楓園、国立療養所長島愛生園、国立療養所松丘保養園で医師として働いた。ハンセン病研究家。ハンセン病療養所入所者に短歌の指導を行った。戦後は医院開業後、熊本短大で社会福祉を研究、講義した。ハンセン病資料を多数集め、熊本県立図書館に内田文庫として寄贈した。
- ^ 博士論文書誌データベースの内容の部
- ^ 内田守『珠を掘りつつ』 金龍堂書店 1972年 内田守履歴 P253
- ^ 医官、内田守と文芸活動(2004) 歴史評論 No.656,12月号 p20-32
- ^ 大岡信責任編集『ハンセン病文学全集 第8巻 短歌』、皓星社、2006年、ISBN 4-7744-0397-0
- ^ 珠を掘りつつ 内田守 金龍堂書店の中の社会事業研究 1937年9月文芸によるらい患者の精神運動
- ^ 珠を掘りつつ 内田守 金龍堂書店 p256 1972年
- ^ <鼠らいの眼疾患に関する研究 第1-4報 レプラ 3-4,4-3, 1932年、1933年、
- ^ 熊本市付近のらい部落の現状について 河村正之、下瀬初太郎、内田守 レプラ 第4巻1号 1933年3月 近代庶民生活誌 20 病気・衛生のも含まれる
- ^ 水道普及がライ菌駆逐への効果について 第1報、第2報 第43回日本らい学会総会 1970年、1971年
- ^ 光田健輔 内田守著 吉川弘文館 1971年
- ^ 熊本県社会事業史稿 内田守 1965年
- ^ 九州社会福祉事業史 内田守 日本生命済生会 1969年
- ^ ユーカリの実るを待ちて 内田守編リデルライト記念老人ホーム 1976年
- ^ <内田守人 うまれざりせば 春秋社 1976年
- ^ <ハンセン病と文学展 熊本近代文学館パンフレット 2003年
内田守
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「ハンセン病に関連した人物」の記事における「内田守」の解説
内田守(短歌の場合内田守人)(1900-1982)うちだまもる、うちだもりと。九州療養所、長島愛生園、松丘保養園で医師として働いた。医学博士、眼科医、ハンセン病研究家、ハンセン病療養所入所者、刑務所受刑者に短歌の指導を行い多くの短歌集を編集した。ハンセン病文学全集8 短歌には冒頭に1926年 1929年の檜の影の編集者として記載されている。った。終戦前健康を害し後回復し、戦後は開業、熊本短大教授となり、社会福祉を研究、講義した。広範な事象に興味があり、著書論文が多く、実行力があり、余りにも活動が盛んで「内田公害」とも言われた。資料は熊本県立図書館に内田文庫として寄贈した。
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