彼が関与したハンセン病関係論文
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『血液コレステリンの微量定量法』熊本医学科雑誌 昭和2年9月 『大風子油中のリポイドに就いて』熊本医学会雑誌 昭和2年9月 『らい患者中のコレステリン含有量』熊本医学会雑誌 昭和2年9月 『喉頭らいの臨床的治験』耳鼻喉頭科 1-3 昭和3年3月 『らい患者に施したる仮瞳孔手術の成績』日本眼科 32-11, 昭和3年11月 『虹彩らい腫の3例並びにその病理組織学的研究』日本眼科 33-6, 昭和4年6月 『らい患者に併発する突発性夜盲症の統計的観察』中央眼科 21-7, 昭和4年7月 『らい患者115名の4,5年前の眼症状と現在の比較』中央眼科 21-7, 昭和4年7月 『らい患者の涙液分泌量について』中央眼科 昭和5年2月 『らい患者の眼領域の知覚に就いて』日眼 34-3, 昭和5年3月 『らいの先天性聾唖及び瞳孔遺残膜の一家系』レプラ 2-1, 昭和6年3月 『らい患者に於ける眼疾患の臨床的並びに病理的研究』レプラ 2-2, 昭和6年8月 『Histological study on affection of the back parts of lepre's eyes』レプラ 2-3, 昭和6年10月 『らい患者の眉毛及び睫毛の統計的観察並びにらい性眼疾患との関係に就いて』レプラ 3-1 昭和7年3月 『眼球らい腫の統計的観察』レプラ 3-2, 昭和7年6月 『大風子油及び果実仁中のビタミンAについて』レプラ 同 『らい患者に併発する輪部フリクテンの1例』レプラ 3-3, 昭和7年9月 『らい性角膜園の分類に関する臨床的並びに病理的補遺』日眼 36-11,昭和7年11月 『結膜のらい腫について』日眼 36-12, 昭和7年12月 『鼠らいの眼疾患に関する研究(第1報)』レプラ 3-4, 昭和7年12月 『らい医学ノート』in 回春病室 光田健輔、朝日新聞社、 昭和25年10月上記のノートは当時のハンセン病医学の状況をよく書いている。光田の自叙伝の中に内田に書かせたもの。 『珠を掘りつつ』 、には34編の学術論文を載せている。鼠のらいは熊本でも発見されたが、7年間努力して1930年(昭和5年)、鼠らいの大集団を発見した。醤油屋や米屋の鼠で、全体の23%に鼠らい菌を保有していたのは世界一である。 彼の専門は眼科である。彼の学位論文は鼠らいの眼疾患に関する研究である。本妙寺集落のハンセン病患者についても研究している。他に青森県の無らい県運動の話がある。戦後は水道普及がらい菌駆逐へ効果があったと主張している。
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