彼に対する議論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/14 13:32 UTC 版)
2012年まで、「イリホル」の名前はセレクにもその隣の碑にも発見されていなかったため、イリホルが王であることの証明は議論の的となっていた。しかし、エジプト学者のフリンダーズ・ペトリとローレル・ベストックとヨケム・カルは、彼が実在の王であると信じていた。彼らはイリホルの名前のヒエログリフの特徴的な綴りを指摘している。いくつかの粘土製の印では、この文字のグループは、第二の独立した口のヒエログリフを伴って発見され、この表記は、ホルスの鷹が持っていた多くの無名のセレクを連想させるもので、個々のヒエログリフはセレクの中ではなく、セレクの近くに置かれていた。最後に、セレクは、セレクの有無にかかわらずその名前が発見されているKaから始まる慣習であった可能性がある。従って、イリホルは王ではないという議論は、彼の名前がセレクの中で発見されなかったために不十分であると彼らは結論付けたのであった。 エジプト学者のダレル・ベイカー(Darell Baker)のようなイリホルが王であったことを支持する人たちも、イリホルの墓の大きさと位置を指摘している。その墓は、カとナルメルの墓と同じくらいの大きさの二重の墓であり、古い前王朝時代の「U」字型の墓地と第一王朝時代の墓を結ぶ順に配置されていたと考える。 しかし、これらとは対照的に、エジプト学者の中にはイリホルの名前がセレクには一度も登場せず、ホルスの鷹は単に口上記号の上に置かれていたため、かれの実在を疑う研究者も存在した。その中でも、ルートヴィヒD. Morenzなどは、イリホルの名前の「読み方」が正確なのかについて疑問を抱いている、と主張している。また、前述したように、トビー・ウィルキンソン(Toby Wilkinson)は、イリホルが主であると推測される墓は貯蔵穴であり、名前は宝の印であると否定した。実際、r-Ḥrは単に王の所有物を意味しているのかもしれない。 彼の仮説を支持するウィルキンソンはまた、イリホルの存在が確実視されるに十分である証拠が不十分であると主張したのである。
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