彼と係わった人々
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/04 06:48 UTC 版)
岩田は今西錦司とその初期の経歴を共にしており、いわゆる今西学派の中心的な一人と見なされる。実際に彼らの間には強い結び付きがあり、彼が台湾に定住しようとした際には、それを止めるように可児や今西らが動いたと本人も述べている。しかし、彼と今西派の他のメンバーとの間の学問的な影響はほとんど見て取れず、彼はほとんど孤高と言っていい位置にある。ただ、動物の生態とその系統、つまり歴史的背景との間に強い結び付きがあると考える姿勢は共通するかもしれない。彼が野外で観察し、記録を残したハチの同定は主として九州大学の安松京三に依っており、新種記載されたもののタイプ標本を含めて多くの証拠標本を、当時の日本で標本保存体制が充実していた九州大学に託している。 彼の直接の弟子筋には、少年時代に岩田の著書に出会い、中学生(旧制)のうちから個人的に私淑して、ハチの生態研究に手を染めた弟子も少なくなかったが、後々までハチの研究を継続し、彼の跡を継いだ者はいない。谷畑美雪は岩田が大学に職を得た後にその研究室の最初の助手になったが、後に芸術家に転向した。岩田が自分の後継者にと期待していた丸山工作は、中学生時代に既に画期的な論文を出していたものの、東京大学進学後に動物生態学を教育する研究室がなかったことから生化学方面に転向し、セント=ジェルジ・アルベルトの論文に影響を受けてこの研究をかねてからなじんでいたハチを研究材料に追試してみたことを契機に筋生理学を世界的に牽引する研究者となった(ただし、晩年の千葉大学学長時代に、ハチの行動学研究を志望する学生を指導している)。同様に少年~青年期に岩田から個人的に指導を受けた多くの初期の弟子や協力者達の中から、わずかに桐谷圭治と野原啓吾が、蜂の研究を継ぎはしなかったものの、昆虫生態学の分野で著名な研究者となった。 このように直接師事した層からは後継者を出さなかったものの、岩田の業績は、坂上昭一、伊藤嘉昭ら、戦後において社会性昆虫の動物行動学を推進するようになる生物学者が出現した基礎を成したことが指摘されている。
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