小川正子とは? わかりやすく解説

小川正子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/03 10:12 UTC 版)

小川 正子(おがわ まさこ、1902年3月26日 - 1943年4月29日)は、日本医師。手記『小島の春』で知られる。


注釈

  1. ^ 熊本県熊本市中央区新町四丁目(旧:新二丁目)に現存。店舗建物は国の登録有形文化財に登録されている[3]。店の主人は、森鴎外の『小倉日記』に『歸途新町二丁目なる書肆の主人長崎次郎を訪ふ』と言及された人物だった。長崎出版とは別の企業である。

出典

  1. ^ 坂入美智子 『潮鳴りが聞こえる -私の小川正子』 識書院、2001年、[要ページ番号] ISBN 4-938289-81-4
  2. ^ 小川正子『新装 ある女医の記録 小島の春』長崎出版、1981年(2003年新装版)ISBN 4-86095-008-9
  3. ^ 長崎次郎書店 - 文化庁(文化遺産オンライン)
  4. ^ a b c d e 荒井英子『ハンセン病とキリスト教』岩波書店、1996年、[要ページ番号]
  5. ^ 小川正子『レプラ』1934年3月[要文献特定詳細情報]
  6. ^ a b c 泉潤「活きつづける光田イズム」『ハンセン病市民学会年報 2005』ハンセン病市民学会、2005年、[要ページ番号]


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小川正子

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ハンセン病に関連した人物」の記事における「小川正子」の解説

小川正子(1902-1943): 協議離婚後(相手は後に衆議院議長大臣になる)、東京女子医学専門学校入学卒業間際光田健輔全生病院就職希望定員がなく断られた。1932年長島愛生園医務嘱託33年医官発令在宅患者収容にいく。1937年結核発病38年小島の春、ある女医の手記」を出版41年退職43年永眠1991年、小川正子記念開館当時在宅患者悲惨な状況周辺の人々収容状況記述され記録文学である。映画化で、多くの人の感動呼んだが、それは彼女が嫌うところであったまた、太田正雄木下杢太郎)は「小島の春」の文学的価値限って高く評価し、「あれだけ感動させる力のあるのは事実描写というものの他に作者シンセリティ誠実さ)と文学的素養があるからで、特殊性という付加物なしも本当の文学だと思う。もうひとつ叙景すばらしい。」と言っている。しかし映画見てからライ根絶最良策はその化学療法にあると批判した

※この「小川正子」の解説は、「ハンセン病に関連した人物」の解説の一部です。
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