「小島の春」現象
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/30 07:37 UTC 版)
「小川正子」および「池尻愼一」も参照 ハンセン病医小川正子が1938年(昭和13年)自費出版した『小島の春』は、フローレンス・ナイチンゲールみたいな女医、悲惨な患者、感傷的な文章、などがあり大ヒットし、映画化もされ、無癩県運動を活性化した。新井英子は『ハンセン病とキリスト教』という著書の中で「小島の春現象」という言葉を造語した。正子は僅か6年ばかり検診、収容に従事しただけである。阿部知二は、なぜ正子だけが偶像化され、美化されたのかについて、多くの人の心の中に次第に軍国主義化し非人間的になっていく時流に抵抗の念があったのだろうと述べている。ハンセン病医池尻愼一は、1940年(昭和15年)に、ハンセン病に関して著書『傷める葦』を書いてベストセラーとなり、同年中に30版を数えた。彼の著書は文部省推薦図書となる。また、新聞広告に『小島の春』後日物語とある。これも「小島の春現象」であり、無らい県運動を活性化した。
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