小島の春現象
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/30 14:15 UTC 版)
荒井英子は『ハンセン病とキリスト教』という著書の中で「小島の春現象」という言葉を造語したと述べている。正子は僅か6年ばかり検診、収容に従事しただけである。どうして正子だけが偶像化され、美化されたのであろうか。半世紀以上医療に従事した女医もいるのにもである。小川自身も聖医扱いをされるのに嫌悪を示した。阿部知二は、多くの人の心の中に次第に軍国主義化し非人間的になっていく時流に抵抗の念があったのだろうと述べている。小川の行為を皇軍の勇士にたとえている人もいる。ヒューマニズムを前面に出し、銃後を守る女の模範を示すということで一大ブームをなった。 ハンセン病医池尻愼一は、1940年、ハンセン病に関して著書『傷める葦』を書いてベストセラーとなり、同年中に30版を数えた。彼の著書は文部省推薦となる。また、新聞広告に『小島の春』後日物語とある。これも一つの「小島の春現象」であり、無らい県運動を活性化した。
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