無癩県運動とは? わかりやすく解説

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無癩県運動

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/30 13:57 UTC 版)

無癩県運動(むらいけんうんどう)とは、1930年代から1960年代にかけて、県内からすべての癩病患者を療養所に隔離・強制収容させて、放浪患者や在宅患者を県内から一掃しようという目的で行われた日本の社会運動である[1]。医師の光田健輔や各都道府県が主導した。官民一体となって患者を摘発し強制的に療養所へ送り込んだ[1]他、一般市民によるハンセン病患者の監視制度でもあり、周囲に隠れ暮らしているハンセン病患者を市民が発見した場合、警察などへ通報して患者を強制収容することを奨励する運動だった[2]


  1. ^ 1997年には増補版が出版されている。
  2. ^ ハンセン病国賠訴訟熊本地裁判決の判決文や熊本日日新聞社編『検証・ハンセン病史』、『ハンセン病問題に関する検証会議 最終報告書』(2005年) などは、無癩県運動に関する基本的な事実関係について、山本俊一著『日本らい史』によっている。
  3. ^ 愛知県には、無癩県運動の資料が残されている[5]
  4. ^ 熊本県では戦後の方が盛んであった。熊本の無癩県運動については、2011年平成23年)現在、熊本県により検討が重ねられている。[要出典]
  5. ^ 太平洋戦争前の無癩県運動は、患者の収容等に関して警察部衛生課が扱っていた。戦前の警察の管轄は戦後とは異なり、その範囲は広大で、公衆衛生部門も扱っていた。
  6. ^ 『ハンセン病と真宗』 p83、p65には、内務大臣や光田の動静、宮内省の動きなどが詳しく記載されている。
  7. ^ 大阪皮膚病研究会のあゆみ 1929-2003 大阪皮膚病研究会史刊行委員会 2003 p104 に、以前の大阪府警察署長殿と印刷してある所を兵庫県知事殿と書きなおした診断書がでている昭和25年5月19日付けである。
  8. ^ 当初、賀川は、イエス・キリストの癩を清めよという命令を謹んでこの運動を進めたいと言っていたが、その後MTLは日本中のハンセン病患者をすべて隔離し、ハンセン病患者のいない日本を日本人自身の手で建設することであり、その理想は「民俗浄化」という言葉で表現された、とある。『戦争とハンセン病』 藤野豊 p120 吉川弘文館 2010, ISBN 978-4-642-05687-8
  9. ^ 日本のらいについて Leprosy in Japan 1955, 藤楓協会 このデータは、一部をまとめて出した。即ち増加と減少は、細別してあるが、意味がよくわからないので、増加と減少にした。また、「鳥取県無らい県運動」による、1940年末の未収容者数を追加した
  10. ^ 熊本県におけるらいの趨勢 熊本県衛生部長 蟻田重雄 1955年3月 近現代日本ハンセンビョウ問題資料集成 第4巻 不二出版。この本に警察から移管された時は推定450名、昭和24,25年に一斉検診し昭和26年27年約250名を菊池恵楓園に入所させ、現在は未収容137名としている

出典

  1. ^ a b c d ハンセン病問題に関する検証会議 最終報告書” (pdf). 2019年10月27日閲覧。
  2. ^ 宮坂道夫『ハンセン病重監房の記録』集英社新書、2006年、92頁。ISBN 9784087203394 
  3. ^ 内田博文『ハンセン病検証会議の記録』明石書店、67頁。ISBN 9784750322940 
  4. ^ a b c 山本俊一『増補版 日本らい史』東京大学出版会、1997年、127頁。ISBN 4-13-060404-X 
  5. ^ a b c 熊本日日新聞編『検証・ハンセン病史』河出書房新社、2004年、301頁。ISBN 9784309243078 
  6. ^ a b 内田『記録』p.37.
  7. ^ ハンセン病市民学会年報 2007 p44-53
  8. ^ 杉山博昭 『山口県におけるハンセン病対策の展開 -無らい県運動期を中心に-』山口県史研究 第14号 2006 p46
  9. ^ 『差別者のボクに捧げる』 三宅一志 晩聲社 1978
  10. ^ 『鳥取県の無らい県運動』 鳥取県史ブックレット2 2008 鳥取市
  11. ^ a b c 隔離の歴史、残す写真 鳥取市の市民劇団”. 朝日新聞社. 2021年12月30日閲覧。
  12. ^ 『ハンセン病無らい県運動の発端について』 佐藤労 ハンセン病市民学会 年報2007, 44-53,
  13. ^ 高山文彦『火花―北条民雄の生涯』飛鳥新社、1999年、199-200頁。ISBN 9784822870096 
  14. ^ a b c 熊本日日新聞編『検証』p.303.
  15. ^ 2003年度ハンセン病問題検証会議報告書 2004.4
  16. ^ 『鳥取県の無らい県運動』 鳥取県 2008
  17. ^ 『ハンセン病とキリスト教』 荒井英子 岩波書店 1996
  18. ^ 潮谷総一郎,本妙寺癩窟,日本談義,23号,昭和27年(1952年).
  19. ^ ハンセン病市民学会年報 2007 p60,
  20. ^ 福田令寿 『百年史の証言』 熊本日日新聞社 1971 p369
  21. ^ 『鳥取県の無らい県運動』 p87
  22. ^ 鳥取県の無らい県運動 p88, 集成、補巻14,48ページ
  23. ^ 戦争とハンセン病 藤野豊 p104,2010 ISBN 978-4-642-05687-8
  24. ^ http://homepage2.nifty.com/oshiro/yagaue.html 屋我地島におけるドン・キホーテ上巻
  25. ^ http://homepage2.nifty.com/oshiro/yagashita.html 屋我地島におけるドン・キホーテ下巻
  26. ^ 日本のらいについて 藤楓協会 東京都 1955
  27. ^ a b c d e f g h 藤野豊『「いのち」の近代史―「民族浄化」の名のもとに迫害されたハンセン病患者』かもがわ出版、2001年、135頁。ISBN 4876995877 
  28. ^ 成田稔『日本の癩〈らい〉対策から何を学ぶか』明石書店、2009年、251頁。ISBN 978-4-7503-3000-6 
  29. ^ a b 成田『何を学ぶか』p.252.
  30. ^ 姜信子 編『谺雄二詩文集 死ぬふりだけでやめとけや』みすず書房、2014年、304頁。ISBN 9784622078302 
  31. ^ a b 谺『詩文集』p.305.
  32. ^ 山口県におけるハンセン病対策の展開 p58
  33. ^ 真宗大谷派ハンセン病に関する懇談会編集 差別と人権に関する学習資料集「ハンセン病と真宗」1998年10月1日
  34. ^ 小笠原登 ハンセン病強制隔離に抗した生涯 真宗ブックレット p43 2003
  35. ^ 鳥取県の無らい県運動 p56全国にトップを切って一躍無らい県ん実現へ 合同新聞山陰版 1937年1月10日
  36. ^ 鳥取県の無らい県運動 p56,57中国民報 1936年5月15日や同新聞社 1936年8月14日
  37. ^ 鳥取県の無らい県運動 p58
  38. ^ 山口県におけるハンセン病対策の展開 p51-55
  39. ^ 鳥取県の無らい県運動 p28
  40. ^ 真宗大谷派宗務総長 能邨英士『ハンセン病と真宗』p120, - 日時ははっきり書かれていないが、前後の事情で平成8年4月(1日か)と思われる。
  41. ^ 藤楓だより 平成14年度p14
  42. ^ 平成13年 「菊池野」





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