併合した土地での無癩県運動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/30 07:37 UTC 版)
「無癩県運動」の記事における「併合した土地での無癩県運動」の解説
日本が併合した地域でも、隔離政策が行われ、無癩県運動ごときもの(県とはいわないが)が行われていた。特に台湾では楽生園長上川豊が無癩報告運動、無癩州運動を推進した。人口1万人当たり、本土では2.1人、朝鮮では5.6人であるのに対し、台湾は1.4人であることで台湾での取り締まりが緩んでいるのではないかと考えた。しかし、1943年(昭和18年)末でも、楽生園の入所者は653人(定員700人)にとどまっていた。
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