たん‐か【短歌】
読み方:たんか
和歌の一体。五・七・五・七・七の5句31音からなる歌。発生については諸説あるが、万葉時代には成立し、平安時代以降、長歌・旋頭歌(せどうか)などがほとんど作られなくなり、和歌といえば短歌をさすようになった。みそひともじ。みじかうた。→長歌
みじか‐うた【短歌】
短歌
短歌
短歌
短歌
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/16 04:52 UTC 版)
短歌(たんか)とは、和歌の一形式で五・七・五・七・七の五句体の歌体のこと。ただし短歌は古より詠まれている歌体であるが、この項目では明治以降の短歌すなわち近代短歌と現代の短歌について取り上げる。つまりは五・七・五・七・七とは限らない。
注釈
出典
- ^ 大日本歌道奨励会『わか竹』(1908年 - 1923年)。
- ^ 松澤俊二『大日本歌道奨励会による刊行歌書解題近代和歌研究への一視点として』。『人間文化研究』第9号。
- ^ 『和歌会員募集』、1929年07月10日官報。東京赤坂区に在した。
- ^ 田中康二「幕末勤皇歌研究と時局」『神戸大学文学部紀要』第39巻、神戸大学文学部、2012年3月、1-41頁、doi:10.24546/81008293、hdl:20.500.14094/81008293、ISSN 02885808。“選定委員は佐佐木信綱、斎藤茂吉、北原白秋(途中で没)、太田水穂、尾上柴舟、窪田空穂、折口信夫、吉植庄亮、川田順、斎藤瀏、土屋文明、松村英一の12名である。”
- ^ 天瀬裕康 編著『SF・科学・ファンタジー句集 増補改訂版』渓水社、2016年。
- ^ 小里樹 (2014年1月5日). “ネットで大ブームのBL短歌って何?”. ダ・ヴィンチニュース. 2016年9月6日閲覧。
- ^ 北夙川不可止 (2015年1月27日). “「五七五七七に萌えをぶっこむこと!」歌壇に新たな刺激を与えたBL短歌の深~い世界とは?”. おたぽる. 2016年9月6日閲覧。
- ^ “念力家族 (天てれドラマ)短歌一覧”. NHK. 2016年9月7日閲覧。
- ^ “1200万人突破!サマースペシャルキャンペーン第1弾開催のお知らせ” (2016年7月21日). 2016年9月6日閲覧。
- ^ “いじめ 非正規 恋… 歌に託した人生 ~ある歌集・異例のヒット~”. NHK. 2018年10月23日閲覧。
- ^ “水川あさみベストセラー短歌集に着想得た映画「滑走路」で主演 浅香航大、寄川歌太も”. 毎日新聞. 2020年3月25日閲覧。
- ^ “短歌ブームのZ世代に癒やされる”. 産経新聞. 2022年6月15日閲覧。
- ^ a b “三十一文字鳥”. 歌人 萩原慎一郎 公式サイト. 2023年9月16日閲覧。
- ^ a b 『短歌2023年8月号』角川文化振興財団、2023年7月25日、98-99頁。
短歌
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 04:14 UTC 版)
海原のゆたけき見つつ蘆が散る難波に年は経ぬべく思ほゆ。:『万葉集』の大伴家持 万葉集では、蘆、葦、安之、阿之という書き方で50首におよび詠まれている。和歌において様々な異名が用いられるのも特徴で、ハマオギ、ヒムログサ、タマエグサ、ナニワグサといった別名が使われるほか、方言ではスゴロ(青森)、アセ(和歌山)、コキ(鳴海)、トボシ(垂水)、ヒーヒーダケ(串木野)という言葉が一部に未だ残っている。
※この「短歌」の解説は、「ヨシ」の解説の一部です。
「短歌」を含む「ヨシ」の記事については、「ヨシ」の概要を参照ください。
短歌
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/25 00:15 UTC 版)
※この「短歌」の解説は、「文芸選評」の解説の一部です。
「短歌」を含む「文芸選評」の記事については、「文芸選評」の概要を参照ください。
短歌
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/14 01:40 UTC 版)
昭和天皇は生涯に約1万首の短歌を詠んだといわれている。うち公表されているものは869首。これは文学的見地からの厳選というよりは立場によるところが大きい。 近代短歌成立以前の御歌所派の影響は残るものの、戦後は木俣修、岡野弘彦ら現代歌人の影響も受けた。公表された作品の約4割は字余りで、ほとんど唯一といってよい字足らずは、自然児の生物学者・南方熊楠に触発されたもののみである。 昭和天皇の歌集 みやまきりしま:天皇歌集(毎日新聞社編、1951年11月、毎日新聞社) おほうなばら:昭和天皇御製集(宮内庁侍従職編、1990年10月、読売新聞社) 昭和天皇御製集(宮内庁編、1991年7月、講談社) 昭和天皇・香淳皇后の歌集 あけぼの集:天皇皇后両陛下御歌集(木俣修編、1974年4月、読売新聞社)
※この「短歌」の解説は、「昭和天皇」の解説の一部です。
「短歌」を含む「昭和天皇」の記事については、「昭和天皇」の概要を参照ください。
短歌
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/08 10:09 UTC 版)
万葉集の中に読まれたシダ類は次の2首のみである。 ノキシノブ Lepisorus thunbergianusはしだくさ(子太草)と呼ばれた。 .mw-parser-output .templatequote{overflow:hidden;margin:1em 0;padding:0 40px}.mw-parser-output .templatequote .templatequotecite{line-height:1.5em;text-align:left;padding-left:1.6em;margin-top:0}わが屋戸の 軒のしだ草 生ひたれど 戀忘草 見れど生ひなく —柿本人麿歌集、万葉集 11 (2475) もう一首は志貴皇子によりワラビ(和良妣)Pteridium aquilinumが読まれた。 石走る 垂水の上の さ蕨の 萌え出づる春に なりにけるかも —志貴皇子、万葉集 8 (1418) また、シノブ Davallia mariesiiは次のような俳句がある。 大岩に生えて一本忍かな —村上鬼城
※この「短歌」の解説は、「シダ類」の解説の一部です。
「短歌」を含む「シダ類」の記事については、「シダ類」の概要を参照ください。
短歌
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 05:34 UTC 版)
詳細は「短歌」を参照 短歌は、「5-7-5 7-7」のパターンに構成された5つの部分から成る31の「音字」(モーラと同一の音韻単位)で作られる日本の押韻しない詩(和歌)の形式である。前半の「5-7-5」のフレーズ(上の句)と後半の「7-7」のフレーズ(下の句)の間(もしくは他の位置)で調子や題材に転換があるのが普通である(句切れ)。短歌は奈良時代には柿本人麻呂などの歌人によって詠まれており、この時期に日本は中国から借用した形式による詩が大半であった時代から抜け出し始めた。短歌は当初は日本の定型詩(倭歌)のうち短いものであり、公の主題よりも個人的な主題を探求するのに大いに用いられ、従ってより形式張らない詩語を有した。13世紀までには短歌は日本の最有力な詩型となり、今日でも広く詠まれている。日本語以外の言語で短歌を書く詩人は31音の規則は無視する場合が多い。 連歌と呼ばれる多人数による短歌の連作も行われた。また短歌形式で風刺・皮肉・滑稽を盛り込んだものを狂歌と呼ぶ。
※この「短歌」の解説は、「詩」の解説の一部です。
「短歌」を含む「詩」の記事については、「詩」の概要を参照ください。
短歌
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/14 17:49 UTC 版)
み吉野の山の白雪踏み分けて入りにし人のおとづれもせぬ。:- 『古今和歌集』冬、壬生忠岑 吉野山 峰の白雪 ふみわけて 入りにし人の 跡ぞ恋しき - 敵である頼朝を前にして、義経との別離を静御前が歌ったもの。「吉野山の峰の白雪を踏み分けて姿を隠していったあの人(義経)のあとが恋しい」。(現代語訳は河出書房『義経記』高木卓訳)上の壬生忠岑の歌を本歌とする。
※この「短歌」の解説は、「吉野山」の解説の一部です。
「短歌」を含む「吉野山」の記事については、「吉野山」の概要を参照ください。
短歌
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/10 03:59 UTC 版)
アララギ派で布野出身の中村憲吉がこのあたりの風景を詠んだ歌が刻まれた中村憲吉歌碑が峠道に建立されている。また同じくアララギ派で友人の斎藤茂吉や平福百穂をこの峠まで見送ったことを詠んだ歌を残している。 国境に いざよふ雲や 国原に 雪も時雨も こぬ深山より君を送りて 国のさかひの 山越えの 深き峡路に わかれけるかも — 中村憲吉、 柿本人麻呂研究で知られ名著『柿本人麿』を公表した斎藤茂吉は一句詠んでいる。人麻呂研究の一環としてあるいは友人の憲吉を偲んで度々この地を訪れており、少なくとも5回峠を通っている。 人麿の ことをおもひて 眠られず 赤名越えつゝ 行きしおもほゆ赤名越えて 布野のはざまに 藤なみの ながき心を とどめむとする — 斎藤茂吉、 憲吉を偲んで中国路を旅した山下陸奥は『純林』の中で歌を残している。 山向うの 出雲とおもふ 北空の 黒雲の秀の 細きかがよひ — 山下陸奥、
※この「短歌」の解説は、「赤名峠」の解説の一部です。
「短歌」を含む「赤名峠」の記事については、「赤名峠」の概要を参照ください。
短歌
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/15 23:29 UTC 版)
現代歌人シリーズ千葉聡『海、悲歌、夏の雫など』 松村由利子『耳ふたひら』 笹公人『念力ろまん』 佐藤弓生『モーヴ色のあめふる』 フラワーしげる『ビットとデシベル』 岡井隆『暮れてゆくバッハ』 駒田晶子『光のひび』 江戸雪『昼の夢の終わり』 吉田隼人『忘却のための試論』 第60回現代歌人協会賞受賞 瀬戸夏子『かわいい海とかわいくない海 end.』 渡辺松男『雨る』 木下龍也『きみを嫌いな奴はクズだよ』 光森裕樹『山椒魚が飛んだ日』 倉阪鬼一郎『世界の終わり/始まり』 谷川電話『恋人不死身説』 紀野恵『白猫倶楽部』 野口あや子『眠れる海』 林和清『去年マリエンバートで』 伊波真人『ナイトフライト』 雪舟えま『はーはー姫が彼女の王子たちに出逢うまで』 加藤治郎『Confusion』 大森静佳『カミーユ』 第12回日本一行詩大賞受賞 今橋愛『としごのおやこ』 服部真里子『遠くの敵や硝子を』 吉岡太朗『世界樹の素描』 吉川宏志『石蓮花』 第70回芸術選奨文部科学大臣賞、第31回斎藤茂吉短歌文学賞受賞 岡野大嗣『たやすみなさい』 楠誓英『禽眼圖』 荻原裕幸『リリカル・アンドロイド』 第11回中日短歌大賞受賞 大口玲子『自由』 第48回日本歌人クラブ賞受賞 黒瀬珂瀾『ひかりの針がうたふ』 魚村晋太郎『バックヤード』 山崎聡子『青い舌』 新鋭短歌シリーズ第一期(監修:東直子、加藤治郎)木下龍也『つむじ風、ここにあります』 鯨井可菜子『タンジブル』 堀合昇平『提案前夜』 笹井宏之『八月のフルート奏者』 天道なお『NR』 斉藤真伸『クラウン伍長』 陣崎草子『春戦争』 田中ましろ『かたすみさがし』 岸原さや『声、あるいは音のような』 五島諭『緑の祠』 望月裕二郎『あそこ』 嶋田さくらこ『やさしいぴあの』 第二期(監修:東直子、加藤治郎、大塚寅彦)藤本玲未『オーロラのお針子』 田丸まひる『硝子のボレット』 中畑智江『同じ白さで雪は降りくる』 岡野大嗣『サイレンと犀』 浅羽佐和子『いつも空をみて』 伊舎堂 仁『トントングラム』 竹内亮『タルト・タタンと炭酸水』 大西久美子『イーハトーブの数式』 法橋ひらく『それはとても速くて永い』 土岐友浩『Bootleg』 第41回現代歌人集会賞受賞 中家菜津子『うずく、まる』 堀田季何『惑亂』 平成28年度日本歌人クラブ東京ブロック優良歌集賞受賞 第三期(監修:東直子、加藤治郎、江戸雪、石川美南、光森裕樹)井上法子『永遠でないほうの火』 虫武一俊『羽虫群』 第42回現代歌人集会賞受賞 鈴木晴香『夜にあやまってくれ』 中山俊一『水銀飛行』 杉谷麻衣『青を泳ぐ。』 蒼井杏『瀬戸際レモン』 原田彩加『黄色いボート』 しんくわ『しんくわ』 佐藤涼子『Midnight Sun』 鈴木美紀子『風のアンダースタディ』 尼崎武『新しい猫背の星』 國森晴野『いちまいの羊歯』 第四期(監修:東直子、加藤治郎、山田航、林和清)初谷むい『花は泡、そこにいたって会いたいよ』 ユキノ進『冒険者たち』 千原こはぎ『ちるとしふと』 九螺ささら『ゆめのほとり鳥』 西村曜『コンビニに生まれかわってしまっても』 惟任將彥『灰色の図書館』 五十子尚夏『The Moon Also Rises』 二三川練『惑星ジンタ』 小野田光『蝶は地下鉄をぬけて』 寺井奈緒美『アーのようなカー』 戸田響子『煮汁』 小坂井大輔『平和園に帰ろうよ』 第五期(監修:東直子、山田航、内山晶太)笹川諒『水の聖歌隊』 久石ソナ『サウンドスケープに飛び乗って』 手塚美楽『ロマンチック・ラブ・イデオロギー』 ユニヴェール白井健康『オワーズから始まった。』 本多忠義『転生の繭』 田丸まひる『ピース降る』 西田政史『スウィート・ホーム』 加藤孝男『曼荼羅華の雨』 高田ほのか『ライナスの毛布』 金川宏『揺れる水のカノン』 日置俊次『地獄谷』 西田リーバウ望東子『音INTERVALLE程』 宮川聖子『水のために咲く花』 日置俊次『ラヴェンダーの翳り』 朽木祐『鴉と戦争』 笹原玉子『偶然、この官能的な』 岡田衣代『パールグレイの瞑想』 須田覚『西ベンガルの月』 佐藤理江『最初ギリッとふたを開け』 現代短歌クラシックス飯田有子『林檎貫通式』 石川美南『砂の降る教室』 正岡豊『四月の魚』 佐藤弓生『世界が海におおわれるまで』 盛田志保子『木曜日』 千葉聡『微熱体』 今橋愛『O脚の膝』 その他笹井宏之『ひとさらい』『てんとろり』 柴田葵『母の愛、僕のラブ』 鈴木ちはね『予言』 榊原紘『悪友』 川野芽生『Lilith』 第65回現代歌人協会賞受賞 橋爪志保『地上絵』 東直子・佐藤弓生・千葉聡編著『短歌タイムカプセル』 川野里子『七十年の孤独 戦後短歌からの問い』『新装版 幻想の重量──葛原妙子の戦後短歌』 加藤治郎『うたびとの日々』 錦見映理子『めくるめく短歌たち』 尾崎まゆみ『レダの靴を履いて 塚本邦雄の歌と歩く』
※この「短歌」の解説は、「書肆侃侃房」の解説の一部です。
「短歌」を含む「書肆侃侃房」の記事については、「書肆侃侃房」の概要を参照ください。
短歌
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/10/12 13:19 UTC 版)
松吉正資は没するまで多くの短歌を書いていた。 ゆく身には ひとしほしむる ふるさとの 人のなさけの あたたかきかな うつそみは よし碎くとも はらからの なさけ忘れじ 常世ゆくまで この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。 この項目は、軍事に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:軍事、プロジェクト:軍事史/Portal:軍事)。
※この「短歌」の解説は、「松吉正資」の解説の一部です。
「短歌」を含む「松吉正資」の記事については、「松吉正資」の概要を参照ください。
短歌
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/12 01:00 UTC 版)
勅撰和歌集に80首以上入撰した、六歌仙・三十六歌仙の一人ではあるが、自撰の私家集は存在しない。現在伝わる『業平集』と呼ばれるものは、『後撰和歌集』成立以降に業平作とされる短歌を集めたものとされている。業平の歌が採首された歌集で業平が生きた時代に最も近いのは『古今和歌集』である。また『伊勢物語』は業平の歌を多く使った歌物語であり、業平像にも大きく影響してきた。以下の歌の中にも伊勢物語の中でも重要な段で登場するものも多い。しかしさほど成立時期に隔たりはないと思われる『古今和歌集』と『伊勢物語』の双方に採首された歌のなかには、背景を説明する詞書の内容がそれぞれで違っているものや、歌自体が微妙に変わっているものがある。『伊勢物語』より成立も早く勅撰和歌集である『古今和歌集』が正しいのか、あるいは時代が下るにつれて『伊勢物語』の内容が書写の段階で書き換えられてしまったのか、現時点では不明である。ちなみに勅撰の『古今和歌集』においてさえ、業平の和歌は他の歌人に比べて詞書が異様に長いものが多く、その扱いは不自然で作為的である。
※この「短歌」の解説は、「在原業平」の解説の一部です。
「短歌」を含む「在原業平」の記事については、「在原業平」の概要を参照ください。
短歌
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/27 20:14 UTC 版)
保子は開拓初期における、数少ない女流歌人の1人でもあった。開拓で余暇のほとんどない中でも、短歌を詠み、自身の養いとしていた。その存在は、同時代の開拓地の女流歌人にも影響を及ぼしている。 しかしほとんどの歌は散ってしまったらしく、後年に残されている歌は10数首程度である。もっとも開拓初期の女流歌人の歌が少ないのは、当時は伊達など各部落でわずかに歌会などが開かれたに過ぎず、歌人も男性ばかりで女性は数えるほどしかいなかったため、また過酷な開拓生活では制作意欲も削がれたためと見る向きもある。 すめらぎの 御国(みくに)のためと 思ひなば 蝦夷が千島も なにいとふべき保子の北海道移住を知り、仙台伊達家の人々が大反対したが、兄の慶邦は保子の固い決意を知って、「かかる世に 生まれあはずば はるばると 蝦夷が千島に君や やるべき」と、動乱の世のために妹を北海道へ送り出すことに心を痛める意味で歌を捧げ、それに対して保子が決意の意味で、こう返歌した。大意は「蝦夷地の千島におもむくのも、すべてお国のためです。そう思えばなんの憂いもなく、いやなこともありません」。保子の開拓に関する使命感、盛んな気迫が伺われ、亘理伊達家全体の決意と団結も詠い込まれている。 今年より 蝦夷が千島にへだつとも 三とせの後に逢ぞ たのしき保子が北海道へ降り立った際に、慶邦へ送った歌。「三とせの後に逢ぞ たのしき」は、「3年後の再会が楽しみ」との意味だが、実際の保子の帰郷は20年以上後であった。 霜露の深く染めけむ伊達村の ははその紅葉(もみじ)いろぞはえたる開拓開始から間もない頃に、北海道で過ごす冬を前にして、紅葉が露や霜に濡れて美しく輝く様子を見て、しばしの安らぎを感じて詠んだ唄。大意は「伊達村には露霜もおりておりますが、木々の葉が赤く色づいて、とても美しく映えています」。保子の喜びと、平安な心境が伺われる。 にいばりに 力を尽くせしももちは 珠有る里となりにけるかも1889年(明治22年)の開拓20年祭で、開拓で土地が富んだことの感謝として詠んだ歌。「にいばり」は開拓、「ももち」は数の多さ、「珠」は美しさを意味する。「長年の開拓の末に有珠の地がすばらしい里になった」との感慨を詠っており、人々の苦労を見ている保子の優しさも歌に現れている。
※この「短歌」の解説は、「伊達保子」の解説の一部です。
「短歌」を含む「伊達保子」の記事については、「伊達保子」の概要を参照ください。
短歌
「短歌」の例文・使い方・用例・文例
- 正岡子規による短歌の革新は日本の歌壇に新風を吹き込んだ.
- 定年後手なぐさみに短歌を少々もてあそんでいます.
- 東歌という短歌
- 長歌の後に添える短歌
- 短歌の雑誌
- 短歌の初めの3句
- 風刺や滑稽を主にした通俗的な表現の短歌
- (短歌で)第三句目に段落をもってくるようにすること
- 第三句目に段落がある短歌
- 正統的な短歌以外の和歌
- 正統的な短歌以外の歌謡
- 短歌で,終わりの七七の2句
- 短歌で,初句に意味上の切れ目があること
- その席で出す短歌や俳句の題
- 短歌の初句の五文字
- 能力をふりしぼった短歌や俳句の作品
- 短歌の上の句と下の句を何人かで交互によみつないでいく文芸
- いろは短歌という歌
- 引音を定型とする短歌
- >> 「短歌」を含む用語の索引
- 短歌のページへのリンク