柴生田稔とは? わかりやすく解説

柴生田稔

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/06 14:24 UTC 版)

柴生田稔

柴生田 稔(しぼうた みのる、1904年6月26日 - 1991年8月20日)は、日本歌人国文学者

来歴・人物

三重県河芸郡玉垣村(現・鈴鹿市)生まれ。ただしこれは出生地の病院の住所で、父・鉄猪は埼玉県出身、自由民権運動にあこがれ私大で法律を学び判事となるが、のち大日本帝国陸軍法官となり各地を転々とした。母は明治女学校に学んだ文学好きであった[1]府立一中一高、1930年東京帝国大学文学部国文科卒。1927年アララギ』に入会、斎藤茂吉に師事する[2]明治大学教授・文学部長を経て、75年定年、名誉教授、駒澤大学教授。専攻は万葉集などの上代文学

1966年、歌集『入野』で読売文学賞(詩歌部門)受賞。1982年、『斎藤茂吉伝』で読売文学賞(研究・翻訳部門)受賞。

専門の文学教育を受けていない茂吉にとって、柴生田は高弟であると同時に万葉集を始めとする「古典和歌」研究著述の支え手でもあった。「柿本人麻呂」などの茂吉の歌書の多くは、柴生田が出典などの資料調査を行っている。墓所は多磨霊園(22-1-84)

歌人岡井隆は、アララギ入会当初は、柴生田に師事していた。

著書

  • 『春山』墨水書房, 1941
  • 『麦の庭』白玉書房, 1959
  • 『入野』白玉書房, 1965
  • 『南の魚 柴生田稔歌集』短歌新聞社 1975
  • 『斎藤茂吉伝』正続 新潮社, 1979-81
  • 『万葉の世界』岩波書店, 1986
  • 『短歌写生説の展開』短歌新聞社, 1987
  • 『公園』短歌新聞社, 1990
  • 『柴生田稔歌集』清水房雄短歌研究社 1992
  • 『思い出す人々 わが点鬼簿より』短歌新聞社, 1992
  • 『アララギの山脈 近代歌人論』笠間書院, 1995
  • 『斎藤茂吉を知る』笠間書院, 1998
  • 『月雪花の伝統 古典和歌の論』笠間書院, 2002
  • 『短歌と共に』笠間書院, 2004

編纂

論文

脚注

  1. ^ 『日本近代文学大辞典』講談社、1984
  2. ^ 柴生田稔『現代短歌全集 第七巻』創元文庫、1952年、134p頁。 




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