江戸時代から昭和30年代とは? わかりやすく解説

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江戸時代から昭和30年代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/24 06:27 UTC 版)

伊勢春慶」の記事における「江戸時代から昭和30年代」の解説

江戸時代 - 伊勢神宮へのお蔭参り盛んになると、宿場大量の膳やが必要となり、伊勢漆器産業育った伊勢各種漆器作られており、伊勢春慶はその中の一種であった主な塗師屋」(漆器店)には、岡本町若井源助家、片岡善兵衛家、橋本兵衛家があり、岡本町中心として漆器産業盛んに行われていた。特に、片岡店は文様や漆の配合工夫があり、好評博した明治時代 - 初期には河崎久保田兵衛家が漆器取り扱っていることが確認できる内国勧業博覧会や、1873年明治6年)にウィーン開催され万国博覧会出品するなどし、「粗ナリト謂ヘドモ廉価ニシテ堅固」と評され日本国内外の博覧会入賞するなど知名度上げた業者乱立したことで粗製乱造起こったため、1902年明治35年)に山田漆器同業者組合組織漆器製造業者の組織化行い品質改善につとめ、大正期にもっとも多く作られた。最盛期には一軒2人上の職人抱え木地屋塗師屋もあったという。伊勢地方特産品として、近場東海地方近畿地方一円はもちろん、関東地方九州地方にも広まっていた。河崎からの出荷には勢田川水運利用された。 明治時代三重県創業した井村屋は、羊羹づくりの型枠使い山田流しようかん」と称していた。 昭和時代 - 戦争影響を受け、職人徴兵材料確保の困難、岡本宮後などの生産場所が空襲にあうなどの要因により次第衰え一度断絶する戦後復活したものの、高度経済成長期以降生活様式変化、漆の輸入中断プラスチック製品の登場などで衰退し、再び生産中断追い込まれた。伊勢市役所世古真弓1980年代前半製造元行った聞き取り調査によると、伊勢春慶青森県から九州までの地域に対して販売されていた。世古口は都市部よりも実用性重視される地方部使用されることが多かったではないか推測している。 1986年昭和61年)には京都市立芸術大学漆塗装を学んだ木村美登伊勢市工芸指導所長)によって、伊勢市工芸指導所で漆技術講座開始された。1994年平成6年)に伊勢市開催され世界祝祭博覧会には、所長受講生が自作した伊勢春慶出品された。1994年10月には三重県伝統工芸品指定されている。

※この「江戸時代から昭和30年代」の解説は、「伊勢春慶」の解説の一部です。
「江戸時代から昭和30年代」を含む「伊勢春慶」の記事については、「伊勢春慶」の概要を参照ください。

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