江戸時代から昭和30年代
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「伊勢春慶」の記事における「江戸時代から昭和30年代」の解説
江戸時代 - 伊勢神宮へのお蔭参りが盛んになると、宿場で大量の膳や椀が必要となり、伊勢で漆器産業が育った。伊勢で各種の漆器が作られており、伊勢春慶はその中の一種類であった。主な「塗師屋」(漆器店)には、岡本町の若井源助家、片岡善兵衛家、橋本佐兵衛家があり、岡本町を中心として漆器産業が盛んに行われていた。特に、片岡店は文様や漆の配合に工夫があり、好評を博した。 明治時代 - 初期には河崎の久保田五兵衛家が漆器を取り扱っていることが確認できる。内国勧業博覧会や、1873年(明治6年)にウィーンで開催された万国博覧会に出品するなどし、「粗ナリト謂ヘドモ廉価ニシテ堅固」と評され日本国内外の博覧会で入賞するなど知名度を上げた。 業者が乱立したことで粗製乱造が起こったため、1902年(明治35年)に山田漆器同業者組合を組織、漆器製造業者の組織化を行い、品質の改善につとめ、大正期にもっとも多く作られた。最盛期には一軒で2人以上の職人を抱える木地屋や塗師屋もあったという。伊勢地方の特産品として、近場の東海地方や近畿地方一円はもちろん、関東地方や九州地方にも広まっていた。河崎からの出荷には勢田川の水運が利用された。 明治時代に三重県で創業した井村屋は、羊羹づくりの型枠に使い「山田膳流しようかん」と称していた。 昭和時代 - 戦争の影響を受け、職人の徴兵や材料確保の困難、岡本、宮後などの生産場所が空襲にあうなどの要因により次第に衰え、一度断絶する。戦後復活したものの、高度経済成長期以降の生活様式の変化、漆の輸入中断、プラスチック製品の登場などで衰退し、再び生産は中断に追い込まれた。伊勢市役所の世古口真弓が1980年代前半に製造元で行った聞き取り調査によると、伊勢春慶は青森県から九州までの地域に対して販売されていた。世古口は都市部よりも実用性が重視される地方部で使用されることが多かったのではないかと推測している。 1986年(昭和61年)には京都市立芸術大学で漆塗装を学んだ木村美登(伊勢市工芸指導所長)によって、伊勢市工芸指導所で漆技術講座が開始された。1994年(平成6年)に伊勢市で開催された世界祝祭博覧会には、所長と受講生が自作した伊勢春慶が出品された。1994年10月には三重県の伝統工芸品に指定されている。
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