江戸時代と現代の違い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/18 02:21 UTC 版)
「越後街道 (会津街道)」の記事における「江戸時代と現代の違い」の解説
江戸時代の会津街道と比較するとさまざまな違いがある。会津側から見た目的地が、江戸時代は新発田だったのに対して、現在の国道49号は新潟市となっており、新潟県阿賀町津川地区以西の区間など、経路が異なる。もともと江戸時代以前から阿賀川(大川)の流れに沿い会津若松市内から会津坂下町青津付近を通る「勝負沢ルート」が使われていたが、1611年の会津地震で「山崎新湖」が誕生するなどして通行不能になり、坂下宿 - 塔寺宿 - 鐘衝堂峠 - 束松峠経由に変更された。さらに明治時代、三島通庸によって行われた会津三方道路の事業では、越後街道の改良も行われたが、束松峠付近では経路が変更され、南方の藤峠を通るようになった。現在の国道も藤峠を経由している。加えて、その後は昭和40年代などにも道路の改良が行われているほか、現在はその後に開通した磐越自動車道などによっても地域が結ばれている。また、江戸時代の越後街道における津川地区以西の新発田までの区間では、諏訪峠越えの区間(阿賀町角島-行地-新谷)を除くと新潟県道14号新発田津川線がほぼ近い経路で指定されている。
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