江戸時代と災害
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 08:58 UTC 版)
真田氏が徳川幕府の命により上田から海津城に移封され、松代藩として明治維新まで存続した。ただ、1742年には千曲川が大洪水を起こし、長沼(旧・豊野町との境界付近)で水位6.4メートルを記録し、戌の満水と呼ばれている。他にも1847年5月8日には善光寺地震が発生し、近隣の飯山などの被害も含めて約1万人の死者が出た。
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