江戸時代における副将軍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/18 02:03 UTC 版)
豊臣秀吉の死後、関ヶ原の戦いに勝利した徳川家康が征夷大将軍に任ぜられ、江戸幕府が開かれたが、幕府内に「副将軍」という役職はなく、江戸時代において副将軍が任ぜられることは一度もなかった。 しかし、徳川御三家の一角である水戸藩主は天下の副将軍または水戸の副将軍と称されることが多い。これは、水戸藩主の地位が他の大名と違って、参勤交代せずに常に江戸に留まる定府が義務付けられていたこと、将軍の補佐役としての色彩が強かったことなどから、そのように呼ばれるようになったとされる。 つまるところ、「副将軍」とは水戸藩主に対して与えられた正式な呼称ではなく、上記のような事実から付いた俗称である。水戸藩主はそうした色彩の強い立場ではあったため、幕府もこの俗称を半ば黙認し、例えば江戸市中の講談師が徳川光圀を「天下の副将軍」と語っても、何ら取り締まりをしなかったという。こうした説は俗説の域を出ないが、当時の水戸藩士はこれを強く信じていたという。 いずれにせよ、当の水戸徳川家の出身である徳川慶喜により大政奉還がなされ、江戸幕府、武家政権そのものが終焉を迎えたことで、副将軍の職および呼称は完全に消滅したといってよい。
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