宮内府
宮内府
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/16 09:37 UTC 版)
1934年(康徳元年)3月1日の帝制移行に伴い、執政府は宮内府と改められた。宮内府は溥儀が政治活動を行う「外廷」と日常生活を過ごす「内廷」に分かれ、現在は「偽満皇宮博物院」として一般に公開されている。 外廷(皇宮)の主要な建物として、「勤民楼」、「懐遠楼」、「嘉楽楼」があり、勤民楼では溥儀が公務を執り、各種の典礼が行われた。懐遠楼には宮内府の事務部門と清朝歴代皇帝の祭祀を司る「奉先殿」が設けられた。内廷(皇宮)は溥儀とその家族の生活区域で東西両院に分かれており、西院に「緝煕楼」、東院に仮宮殿「同徳殿」が建設された。緝煕楼は溥儀と皇后婉容の住居とされ、日常生活を過ごしていた。 また、この付近には宮内府大臣の庁舎もあった。
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「宮内府」の例文・使い方・用例・文例
- 宮内府という行政機関
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