仮宮殿
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/16 09:37 UTC 版)
新宮殿建設が長期間となることから、宮内府敷地内に仮宮殿が建設された。東洋式外観の仮宮殿の設計は、営繕需品局営繕処宮廷造営科長の相賀兼介が担当し、施工は戸田組が行った。1937年(康徳4年)施工、1938年(康徳5年)末に竣工し「同徳殿」と命名されたが、関東軍の盗聴を恐れて溥儀自身は使用しなかった。後に同徳殿には側室の李玉琴(福貴人)の住居が置かれた。また、同徳殿の南側に満洲民族の故地である長白山の風景をイメージした築山が築かれ、築山林泉回遊式庭園が造られた他、プールや防空壕、後述する建国神廟などが周辺に設けられた。更に同徳殿の背後には「蔵書楼」と呼ばれる三階建ての書庫が建てられていた。
※この「仮宮殿」の解説は、「満洲国皇宮」の解説の一部です。
「仮宮殿」を含む「満洲国皇宮」の記事については、「満洲国皇宮」の概要を参照ください。
- 仮宮殿のページへのリンク