「外地」の日本庭園
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/15 19:06 UTC 版)
「日本国外の日本庭園」の記事における「「外地」の日本庭園」の解説
戦前に日本の統治下にあった「外地」や影響下の地域で日本庭園が制作され、日本人居留民に憩いを提供した。 朝鮮では、1909年(明治42年)にソウルの王宮の一つであった昌慶宮が公共公園「昌慶苑」に改修された際、従来あった水田が拡張されて池が築かれ、日本庭園の造園が行われた。釜山府の龍頭山公園には日本庭園(本多錦吉郎作)が造営された。 台湾では、1917年(大正6年)に開園した台南公園(台南市)に日本庭園が造られ、現在まで残っている 樺太では、1906年(明治39年)に豊原市(現:ユジノサハリンスク)に豊原公園が開設された。 満洲では、ハルビンの八站公園(佐藤昌作庭)、新京(現:長春市)の満州国皇帝仮宮殿に造られた築山林泉回遊式庭園(1938年、佐藤昌作庭)などが挙げられる。 第二次世界大戦後、これらの庭園は造園に至る歴史的経緯に対する評価とは無縁でいることはできなかった。満州国仮宮殿は吉林省博物館(中国語版)として利用されているが、かつての日本庭園は荒廃した状況にある。昌慶宮の池は春塘池として現存するが、1986年に朝鮮の伝統造園方式で改修されている。豊原公園はガガーリン公園と改称されているが池は現存し、近年東屋などが建設されて部分的に日本庭園の復興が図られている。
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