「外地」における住民の法的地位と参政権
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1895年(明治28年)に日清戦争で勝利した日本は、台湾を清から割譲。1905年(明治38年)に日露戦争後、ロシアから樺太の南半分を獲得、1910年(明治43年)に日韓併合条約を締結して、先の二つの戦争のそもそもの原因であった朝鮮半島の併合を成し遂げた(韓国併合)。これらの地域は外地と呼ばれ、日本の領土として、太平洋戦争で日本が敗北する1945年まで統治された。日本はこれらの地域に住む多様な民族を包含する多民族国家となった。 これらの植民地に元から住んでいた住民は、大日本帝国臣民(日本国民)とされ日本国籍を持った。ただし戸籍については日本人と区別され、植民地ごとに別の戸籍が作られて戸籍法の適用を受けなかった。外地出身の家系であれば内地で生まれても、婚姻等でもない限り内地へ転籍できず外地の戸籍に入籍した。住民には帝国臣民として日本民族に同化させる政策が朝鮮人などからの要望もありとられた。その後日中戦争が勃発し、戦時体制が固められていく中で、創氏改名や日本語教育、神社参拝などの皇民化政策が推し進められ、同化政策は強化。 台湾、樺太、朝鮮についてはそれぞれ、台湾ニ施行スヘキ法令ニ関スル法律、樺太ニ施行スヘキ法令ニ関スル法律、朝鮮ニ施行スヘキ法令ニ関スル法律が制定され、これらの法律では、勅令で定めることで内地に施行される法律の全部または一部を台湾、樺太、朝鮮にも施行できるとされた。また、台湾と朝鮮では、それぞれ固有の民族や文化に適応した統治を行うために、前述の法律により、台湾総督と朝鮮総督に対して、立法に関する帝国議会の権限が委任された。その結果、内地では帝国議会の協賛による法律で規定しなければならない事項は、総督の命令のうち勅裁(天皇の裁可)を得たもの(台湾総督のものは律令(りつれい)、朝鮮総督のものは制令という。)で、帝国議会の協賛なしに規定できるとされた。樺太は、内地からの移住者が多かったため、内地の法律が適用された(1943年に内地に編入)。 外地地域には衆議院議員選挙の選挙区が設置されなかった。つまり植民地住民は、立法に関与する帝国議会議員や総督の選定に容喙できず、道会、州会等の地方議会選挙を通じて民意を表明しうるにすぎなかった。これはこの地域に住む日本人も同様であった。ただし台湾人、朝鮮人であっても、内地に移住した場合は当然に衆議院議員や内地の地方議会選挙で選挙権を行使できた。 なお選挙を要しない貴族院では、朝鮮人、台湾人も議員に任命されていた。 被選挙権については、選挙区への居住が条件づけられていないため、内地の選挙区を選んで出馬することは出来た。ただし外地に居住する台湾人、朝鮮人で実際に出馬した例はなかった。
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