ワトソンの逮捕と裁判
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/03 00:32 UTC 版)
「バイ陰謀事件」の記事における「ワトソンの逮捕と裁判」の解説
8月に入って計画の中心であった2人の神父は逮捕された。ワトソンは8月5日頃にイングランドとウェールズの国境に位置するヘイ・オン・ワイ近くのワイ川沿いの畑で逮捕された。その後、8月10日付で計画に関して自白を行った。積極的な共謀者であったウィリアム・クラークは8月13日にウスターで逮捕された。 バイ陰謀事件の詳細は、11月に入って獄中のカトリック司祭フランシス・バーナビー(英語版)の供述で明らかとなった。 彼はバンクロフトの代理人としてクリストファー・バグショー(英語版)と連絡を取り合っていた人物で、イングランドのイエズス会に対抗するためにウィリアム・クラークと協力関係にあった。 本事件の裁判は11月15日から18日にかけてウィンチェスターの司教館で行われた。この理由として、11月にウィルトシャーのソールズベリー近郊にあるウィルトン・ハウス(英語版)が仮宮殿になったために、そこからほど近いウィンチェスターが便利だと判断されたこと、また、日程が大幅に遅れたことについてはジョン・リンガード(英語版)は『イングランド史』の中で、スペイン領ネーデルラントの代表として戴冠式に出席したアレンバーグの第2王子シャルル・ド・リーニュが引き続き国内に滞在していたことにあるとしている。メイン陰謀事件の犯人たちがアレンバーグに接触していた場合に、厄介なことになると判断されたためであった。 15日の裁判では、事件に関与した2人の神父とジョージ・ブルック卿、グリフィン・マーカム卿が被告となった。17日はウォルター・ローリーが被告に立ち、検察側は彼がバイ陰謀事件に関与していたことを立証した。18日には、男爵であるグレイが被告となり、メイン陰謀事件に関与したコバム卿とともに、31人の貴族(peers)から有罪判決を受けた。 共謀者にも有罪判決が下された。バイ陰謀事件の被告のうち、大逆罪で無罪になったのはエドワード・パーハム卿だけであった。ローリーがバイ陰謀事件に関与していた、というエドワード・コークの起訴状は、たぶんに個人的な罵倒を多用した修辞的なもので、中身の薄いものであったが、メイン陰謀事件において彼が果たした役割については説明すべき点が多かった。
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