ワトソン研究所とは? わかりやすく解説

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トーマス・J・ワトソン研究所

(ワトソン研究所 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/22 07:16 UTC 版)

ワトソン研究所

トーマス・J・ワトソン研究所(トーマス・ジェイ・ワトソンけんきゅうじょ、Thomas J. Watson Research Center)は、IBMの研究部門の本部である。研究所の名称は、1915年から1971年までIBMを社長CEOとして率いていた、トーマス・J ・ワトソン・シニアとその息子トーマス・J ・ワトソン・ジュニアの名前に因んだものである。

この研究所は二つの敷地に分かれて建っており、主要な研究所はニューヨーク市から北へ70kmほどに位置するニューヨーク州ヨークタウン・ハイツ(Yorktown Heights)にある。他はマサチューセッツ州ケンブリッジ(Cambridge)に位置している。

ここでの研究内容は、人工知能、物理学半導体技術などコンピュータハードウェアに関するもの、ビジネスモデルコンサルティング経営などサービス業に関する研究、プログラミング言語セキュリティデータ管理などといったソフトウェアに関連するもの、OSサーバといったシステム関連の研究と、多岐にわたる。

トーマス・J・ワトソン研究所は1945年、ニューヨーク市にあるコロンビア大学ウォーレス・ジョン・エッカートの研究室にIBMが出資し、ワトソン科学計算研究所(Watson Scientific Computing Laboratory)としたのに始まる。この施設は1953年に拡張され、1957年にはヨークタウンハイツに本部を移転し、1961年にはEero Saarinenによる設計の新しい研究所が完成した。1945年以来の施設は1970年に閉鎖、後にこの建物はコロンビア大学に譲渡され、現在ではCasa Hispanica(ヒスパニックの家の意)とワトソン・ホールとして知られている。更に1984年にはホーソンにも施設が拡張された。

この研究所で働いた著名な研究者には、数学者のブノワ・マンデルブログレゴリー・チャイティン、Shmuel Winograd、物理学者の江崎玲於奈、発明家のRobert Dennard、コンピューター学者のジョン・コック、Stuart Feldman 、Irene Greifらがいる。

施設

ヨークタウン・ハイツ

ヨークタウン・ハイツの研究所は私有地に建てられており、通常一般人は入ることができない。建物は巨大な三日月型をした三階建てのビルで、内部に40もの廊下をもつ。一階は三日月の先端部分が半地下室になっており、その先は職員向けの駐車場になっている。建物の正面入り口には巨大な突起物が突き出ており、入り口正面には来訪者向けの駐車場がある。ビルの内部には図書館の他、カフェテリアも設けられている。

ケンブリッジ

ケンブリッジの施設はかつてIBMのロータス・ソフトウェア開発部門が置かれていた施設を利用している。ここではXMLに関する技術などが研究されている。現在は、MIT と IBM Researchの共同研究所である MIT-IBM Watson AI Lab の拠点でもある。

ホーソン

ホーソンの施設はスカイライン・ドライブと呼ばれる産業地区に、いくつかの地元企業とともに入居している。ここの研究施設はミラーガラスと巨大な青い柱という外見上の大きな特徴があるため、容易に見分けることができる。ニューヨーク市から北に40kmの位置にあり、ヨークタウン・ハイツのそれと比べれば小規模な施設である。ここではソフトウェア及びサービス業に関する研究が行われており、化学や物理学、半導体技術の研究を中心とするヨークタウン・ハイツの施設とは研究内容に差が見られる。ビル内には図書館、カフェテリアに加えプレゼンテーション・センターも置かれている。このビルのデザインはMichael Harris Spectorによるもので、開館は1984年である。2020年現在において、ホーソンは閉鎖となっている。

関連項目

座標: 北緯41度12分36.7秒 西経73度48分10.8秒 / 北緯41.210194度 西経73.803000度 / 41.210194; -73.803000


ワトソン研究所

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/21 09:00 UTC 版)

ウォーレス・ジョン・エッカート」の記事における「ワトソン研究所」の解説

戦後エッカートコロンビア大学戻った。そのころワトソンは、ハーバード大学行われていたIBM出資したプロジェクトHarvard Mark I)を巡ってハーバード大学対立していた。IBMその代わりコロンビア大学資金集中させることになり、エッカート研究室ワトソン科学計算研究室名付けられた。エッカートは、長時間計算人手介さずに行う科学計算利点痛感しており、それが自分研究室意義であると理解していた。 1948年1月マディソン・アベニューにあるIBM本社ビル1階ショールームに、エッカート提案した仕様に基づく巨大な機械設置された。この機械Selective Sequence Electronic Calculator(SSEC)と名付けられた。この装置計算装置としてある程度成功収めただけでなく、新たな顧客従業員IBM惹き付ける役割果たしたエッカート1948年11月SSECに関する論文発表している。 エッカートIBM従業員として、アメリカ初の工業研究所指揮した1945年エッカートは、次世代IBMを担う研究者としてハーブ・グロッシュ(英語版)とルウェリン・トーマス(英語版)を採用した。この2人はともに、IBM多大な貢献をした。1949年にカスバート・ハード(英語版)がIBM採用されエッカート後任オファーされたが、彼はその代わり応用科学部門設立し、後にIBM初の商用プログラム内蔵方式コンピュータIBM 701開発指揮した1954年には、海軍装備局向けのコンピュータNORC開発指揮を執った。 この時期には、SSECによるブラウンの月運動論英語版)の確認改良された月の天体暦開発外惑星天体暦計算するための初の数値積分SSECNORCによる小惑星等の軌道計算など、計算天文学への革新的な貢献続けた1957 年ワトソン研究室ニューヨーク州ヨークタウンハイツ英語版)に移転し1961年新しい建物完成)、IBMトーマス・J・ワトソン研究所となった1966年米国科学アカデミーからジェームズ・クレイグ・ワトソン・メダル受賞した

※この「ワトソン研究所」の解説は、「ウォーレス・ジョン・エッカート」の解説の一部です。
「ワトソン研究所」を含む「ウォーレス・ジョン・エッカート」の記事については、「ウォーレス・ジョン・エッカート」の概要を参照ください。

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