本社ビル
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東京・丸の内の本社(丸の内仲通りビル)は、1963年(昭和38年)1月に竣工した地上10階・地下4階のビルである。以前は、同じく千代田区丸の内の古河総合ビルに入居していたが、三菱地所による丸の内再開発により取り壊されることになり、2006年に現在のビルに移った。古河総合ビルの跡地は、現在、丸の内パークビルディング(三菱一号館・丸の内ブリックスクエア)となっている。ちなみに、古河総合ビルは三菱四号館の跡地に建てられたものである。 また、丸の内仲通りビルは、かつて三菱電機の本社であったため三菱電機ビルと呼ばれていたが、三菱電機の本社が東京ビルディング(東京ビルTOKIA)に移転したことにともない現名称に変更された。1974年に発生した三菱重工爆破事件(三菱重工業を標的とした東アジア反日武装戦線による無差別爆弾テロ事件、死者8名・負傷者376名)では、テロ事件の舞台となった三菱重工の本社ビル(現・丸の内二丁目ビル)が丸の内仲通りをはさんで反対側に位置した関係で、三菱電機ビル(現・丸の内仲通りビル)も大きな被害を受けた。 なお、丸の内仲通りビルには現在、古河機械金属の本社のほかに、古河電気工業や古河林業の本社、古河三水会など多くの古河グループ各社が入居している。
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本社ビル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/31 09:36 UTC 版)
西新宿の「損保ジャパン本社ビル」に本社を置いている。これは元々旧安田火災の本社として淀橋浄水場跡地に1976年に建設された超高層ビルで、末広がりの外観から「スカートビル」とも、「パンタロンビル」とも呼ばれる。2014年9月1日の日本興亜損保との合併に伴い、ビル名も「損保ジャパン日本興亜本社ビル」に変更されたが、2020年4月1日の社名変更で再度「損保ジャパン本社ビル」の名称に復した。 開業時より、ビル内には旧安田火災と縁が深かった東郷青児の美術作品コレクションを展示する東郷青児美術館が設けられた。当美術館は名称変更やビルに隣接する形で建設された新美術館への移転を経ながら、2021年現在も「SOMPO美術館」の名称で先述した作品群や「ひまわり」などを展示している。
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本社ビル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/16 03:37 UTC 版)
東京本社、東京本社第1ビル、大阪本社の3拠点を本社としているが、本社ビル内には展示フロアを設け、商品と一緒に什器やPOPが設置されており、小売業の店舗(売り場)さながらの展示がなされている。顧客の訪問時に、商品そのものや販促物などを店頭で設置したシーンをイメージできるように現場に則した設計がされており、顧客への商品提案に加えて、什器展開、棚割り展開、季節ごとの催事企画など幅広くサポートする体制を保有している。
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本社ビル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/11 07:57 UTC 版)
1991年(平成3年)3月に東京都渋谷区千駄ヶ谷4丁目6番15号に18階建ての本社ビルを竣工。1993年には9階建ての本社別館も竣工。2000年(平成12年)8月にリストラの一環により三井不動産などが設立した投資ファンドに約150億円で売却することが決定された。更に賃料節減のため、フジタ東京支店として入居していた近隣の修養団SYDビルに本社機能も移転、約800人いた本社従業員も同11月までに同ビルや近隣の諸ビルに移転した結果、売却した旧自社ビルを隣に望む賃貸ビルに本社が所在するという皮肉な状況になっているものの、これによって年間約10億円程度の経費節減が達成できるとされた。売却された本社ビルの本館は2001~2017年にかけて外資系製薬会社のグラクソ・スミスクライン株式会社の本社として同社が一棟借りし、GSKのロゴが外壁上部に掲げられ「GSK本社ビル」名称となっていた。 尚、フジタ本社ビル時代にはドラマ『振り返れば奴がいる』において天真桜病院のロケ地として用いられていた。
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本社ビル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/01 04:04 UTC 版)
「シカゴ・トリビューン」の記事における「本社ビル」の解説
1925年から本社を構える「シカゴ・トリビューンタワー(英語版)」は1922年、エリエル・サーリネン、ヴァルター・グロピウスらが参加した有名なデザインコンペの結果、レイモンド・フッドとジョン・ミード・ハウエルズのゴシック様式の案が選ばれて建設されたものである。 後にフッドは提携先であるニューヨークデイリーニュースの本社ビルも手掛けている。
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本社ビル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 02:57 UTC 版)
東京都江東区にある本社ビルは自然エネルギーの有効利用技術、環境調和技術を活かしたノンフロンビルとして竣工されており、以下の賞を受賞している。また、ドラマや映画の撮影にも使われている[要出典]。 2009年 日本建築士会連合会賞 優秀賞 第22回 日経ニューオフィス賞 ニューオフィス推進賞 2010年 日本建築学会作品選集掲載 東京建築賞2010第36回建築作品コンクール 東京都知事賞・一般部門二類 最優秀賞 第21回 電気設備学会賞 施設奨励賞 第21回 電気設備学会賞 開発賞 第11回 日本免震構造協会賞 作品賞 平成22年度日事連建築賞受賞作品 一般建築部門 優秀賞 グッドデザイン賞
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本社ビル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 01:48 UTC 版)
横浜市のみなとみらい地区(49街区)に2008年9月、シンクロン本社ビル(6階建て・延床面積約6,585m2)が完成した。ビル内には本社機能の移転の他、研究開発施設を集約し最先端の設備を導入したR&Dセンターが設置されている。建物の設計は三菱地所設計によるもので、曲面の外観(ファサード)を高透過ガラスで覆ったダブルスキンの構造が特徴である。 シンクロン本社ビル新館(増築棟) 2014年9月には本社ビルの新館(7階建て・延床面積約6960m2、既存の本社ビルに隣接し一体的なデザインの増築棟)が完成した。事務所・研究開発施設等の拡張を目的とし、クリーンルームを備えている他に、展示ルームや保育所(ポピンズナーサリースクール横浜)も併設している。また、新館の建設工事と並行して地域冷暖房(みなとみらい21熱供給)の引き込み工事も実施された。 本社ビルのライトアップ 夜間には前述のダブルスキン構造と高透過ガラスを活かしたライトアップが実施されており、クリスマス時期に同地区で開催されるオフィスビル全館点灯にも参加している。なお、ライトアップは象の鼻パークでも採用されているレシップが開発したCCL(コールド・カソード・ランプ)を用いており、時間帯によって色調が変化しクリスマス時期には特別なカラーも楽しむことができる。 ※いずれも2013年10月撮影(新館完成前)
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本社ビル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/06 08:59 UTC 版)
「いまの若い人は見た目で会社を選ぶ傾向が強い。自社ビルをもたなければ、人材は集まらない」と考えていた北村は、1992年(平成4年)7月、京都市中京区室町御池に九階建ての本社ビルを完成させた。 デザインは京都出身の建築家大杉喜彦に依頼し、施工まで一貫して京都の業者を選択している。正面玄関部分に北村の名前「陽次郎」にちなむ「太陽」をイメージしたモニュメントが描かれ、屋上部分に人間のセンスを司る「右脳」と、合理性の象徴といえる「左脳」を模した二つの半円が設けられている。各階ごとに内装壁を色分けし、照明、絨毯、机から調度品に至るまで、北村自身が選び抜いた逸品をイタリアから直輸入して備えていたほか、1階のエントランスロビーには北村夫妻をイメージした王や女王の油絵がかかっていたという。
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本社ビル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/25 03:54 UTC 版)
日比谷公園前にあった愛国生命保険本社ビル(河合浩蔵設計、1912年竣工)は、ルネサンス様式を取り入れた建物で、コンクリートブロックを使用したものとして日本最初期のもの。
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本社ビル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/31 10:26 UTC 版)
本社ビルは、第三者認証としてJHEP認証を受けている。 2012年4月11日には、本社ビルに併設される形で「容器文化ミュージアム」が開館した。
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