完成前
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 14:20 UTC 版)
「徳島駅前再開発ビルアミコビル」の記事における「完成前」の解説
1903年 - 寺島尋常小学校(現 徳島市内町小学校)が、現在の徳島駅前再開発ビルアミコビル敷地(徳島市寺島本町西)に移転。 1963年 - 内町小学校を移転し、その跡地に再開発ビルを建設する計画が、徳島市や地元地権者の間で持ち上がった。 1972年 - 徳島商工会議所がまとめた徳島商業近代化計画で、中心市街地を駅前地区と新町地区を2つの核として整備、発展させるという「2眼レフ構想」が立てられ、駅前西地区の再開発が現実味を帯びてきた。 1976年8月19日 - 内町小学校の移転先が徳島刑務所から現在地(西ノ丸運動場)に変更。 1977年 - 山本潤造市長は再開発事業を最重要施策に位置付け、その後市を中心とした地権者が徳島駅西地区市街地再開発準備組合を設立。 1978年4月 - 内町小学校が現在地に移転。8日開校。 1979年2月23日 - 徳島都市開発株式会社の創立総会。キーテナント探しや地元商業者との折衝が行われた。このときの計画では、ビルは地下3階、地上15階建て、延べ床面積は90560m2と、現ビルの倍近い規模のものであった。のちの調査で地盤が軟弱であることが分かり、縮小された。なお、キーテナントのデパートの面積は約20000m2が想定された。 2月27日 - 内町小学校が現在地に移転。 1981年内町小学校の旧校舎を取り壊し。 4月 - 通り沿いの店舗を解体開始。 1982年12月17日 - 徳島駅前再開発ビル上棟式。 1983年5月19日 - 愛称が「アミコ」に決定。
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