完成までの道程
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1958年(昭和33年)よりダムの具体的な型式や貯水容量等を検討する実施計画調査に入ったが、翌1959年(昭和34年)に伊勢湾台風が台風13号の洪水流量を超える水害を引き起こしたため洪水調節計画を再検討した。さらに関西圏の急激な人口増加と阪神工業地帯の拡充により水需要が逼迫し、水資源開発の必要性が叫ばれ1962年(昭和37年)に「水資源開発促進法」が施行された。 利根川と共に淀川は「水資源開発基本計画」の指定河川として以後水資源開発公団(現・水資源機構)が総合的な利水事業を行うこととなり、高山ダムは宇陀川ダムと共に公団に事業が移管された。補償交渉は京都府・奈良県・三重県の3県に跨り196世帯が水没する上、国の名勝に指定されている月ヶ瀬梅林の一部が水没することから難航を極めた。紆余曲折を経て予備調査開始から17年後の1969年(昭和44年)完成した。
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完成までの道程
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1949年9月 - 鳴門市観光開発計画に構想が盛り込まれる。 1955年8月 - 当時の鳴門市長が記者会見で私案を発表する。 1957年6月 - 徳島県が、当時の日本道路公団総裁に有料道路の形での架橋を陳情するも断られる。また当時の鳴門市長が、期成同盟会の結成を市議会に提案するも見送られる。 1958年3月 - 民間団体による期成同盟会が発足する。 7月 - 徳島県および鳴門市の両議会が調査費を半額ずつ計上する。 8月 - 海底ボーリングと測量が完了し、調査結果が出る。そして当時の徳島県副知事が建設省に対し、国道28号の一部として工事するよう陳情する。 9月 - 関西電力が徳島県に対し、鳴門海峡をまたぐ送電線計画の承諾を交換条件に、建設費融資の話を持ちかける。(以後、とんとん拍子で建設への動きが進展する。) 1959年10月 - 県議会において建設が決議される。 11月 - 徳島県鳴門土木出張所に橋梁係が新設される。 12月 - 工事が始まる。 1960年1月 - 徳島県および鳴門市が鍋島を用地買収する。 2月 - 耐風強度に関しての実験を依頼していた東京大学より、最大風速73mまで安全であるとの報告を受ける。 4月 - 工事における最大の難関であった潜函の移動を終える。 7月 - 潜函を岩盤に固定する。 11月 - ケーブルを張る作業が開始される。 1961年7月 - 当初の計画より約100日遅れて、完成する。
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