ルネサンス建築
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/04 10:12 UTC 版)
ルネサンス建築(ルネサンスけんちく)は、一義的にイタリアのフィレンツェで1420年代に始まり、17世紀初頭まで続いた建築様式を指す。古典古代を理想とするルネサンスの建築における表現といえる。 人体比例と音楽調和を宇宙の基本原理とし、ローマ建築の構成を古典主義建築として理論づけた。ルネサンス建築にはじまる古典主義建築の系譜は、後のバロック建築・新古典主義建築を通じて継承され、西欧建築の主流であったが、19世紀の歴史主義において相対化し、やがて解体した。
注釈
- ^ その他にも、細部の納まりについてゴシック的な要素が散見されるが、ブルネッレスキは大聖堂のほか、様々な建築の設計に携わっており、捨子保育院については細部のデザインを石工に口頭で伝達していたが、これらが守られなかったために不明瞭なデザインになったとされる[4][5]。また、サン・ロレンツォ聖堂とサント・スピーリト聖堂の全体的な印象については、1420年代後半からの政情不安と不況による財政難のために工事が停止し、建設の再会後、ブルネッレスキはすぐに没しているため、彼の意図とは異なる計画になったとされる[6][7]。
- ^ マネッティもヴァザーリも、彼がローマに赴いてローマ建築を観察したとしており[8][9]、アルガンは彼の建築の源泉をローマ建築の研究としているが[10]、実際にブルネレスキがローマを訪れた、またはこれを否定するような確実な資料は存在しない。
- ^ 最も早く主張したのはレオーン・バッティスタ・アルベルティで、1435年の『絵画論』において、ブルネレスキに対して最大限の賛辞が贈られている。
出典
- ^ ブラッカー(森田・松本、2011)第2章および第3章。
- ^ ペヴスナー(小林・山口・竹本、1989)p149-p150。
- ^ ブラッカー(森田・松本、2011)p91。
- ^ マネッティ(浅井、1989)pp116-117。
- ^ ヴァザーリ(森田、2003)p133。
- ^ マネッティ(浅井、1989)pp127-128。
- ^ ヴァザーリ(森田、2003)pp135-136 およびp144。
- ^ マネッティ(浅井、1989)pp81-85。
- ^ ヴァザーリ(森田、2003)pp111-112。
- ^ アルガン(浅井、1981)p17ほか
- ^ ヴァザーリ(森田、2003)pp146-147。
- ^ 福田(2011)pp215-216。
- ^ ブラッカー(森田・松本、2011)pp198-201。
- ^ 詳しくはアンドレ・シャステル『ローマ劫掠』 訳書は筑摩書房、2004年
- ^ 音楽が数学の四学のひとつとして位置づけられているのに対し、ルネサンス以前は、建築・彫刻・絵画は職人による技芸であり、学芸と認識されてはいなかった。『ヒューマニズムの源流』p189。
- ^ 『ウィトルーウィウス建築書』p120-p131。訳書は森田慶一訳註(東海選書:東海大学出版会、1979年)
- ^ 詳しくは相川浩『建築家アルベルティ クラシシズムの創始者』中央公論美術出版、1988年を参照。
- ^ 詳しくは中央公論美術出版で『パラーディオ「建築四書」注解』(桐敷真次郎編著、1986年)、同出版で大著『パラディオ図面集』(長尾重武編、1994年)
- 1 ルネサンス建築とは
- 2 ルネサンス建築の概要
- 3 特徴
- 4 主要建築物
- 5 脚注
- ルネサンス様式のページへのリンク