建築賞とは? わかりやすく解説

建築賞

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/29 23:10 UTC 版)

ローマ賞」の記事における「建築賞」の解説

フランスの建築においてローマ大賞制度は、旧制度下の王立建築アカデミー時代にすでにある程度確立され1720年から建築部門の学生毎年1名ずつローマ派遣する原則出来上がらせた。ただし当初アカデミー審査する大賞順位より、国王の下に置かれ王室建設総監のほうが決定力を持ち、そのためときに実際大賞受賞者以外の人物ローマ留学していたこともあった。その後建築アカデミー権威確立し、それとともにローマ大賞一種絶対的価値を持つものと一般に理解されてくる。 こうした建築学徒のローマへ留学制度フランスのほかに、イギリスソーン賞など同様の制度各国設置されている。 エコール・デ・ボザール設立されてからの、1819年から1968年まで続いたボザール時代でも、毎年1回催されるローマ大賞設計競技は、最大年間行事ともいえる規模化していた。ポザール自体は当然美術アカデミーからは独立した教育機関形態保っていたが、ローマ大賞審査だけは、アカデミーが行っていた。他に開催される設計競技は、ポザールの建築論教授課題決め審査決定権持っているが、ローマ大賞だけは全てアカデミープログラム沿ってなされていた。 大賞のための設計競技基本的に3段階に分かれている。 毎年3月応募全て開かれている最初競技12時以内仕上げエスキスで、まず応募者達はポザール校舎内のアトリエ製図棟に入りとりかかる。中で応募同士相談するのは許されていたが、中途での外出認められなかったという。製図棟を去る時は、仕上げたエスキス守衛手渡しその後審査回される第一次競技主旨は、ファサードデザインを中心とした表現能力をみることで、全応募者の中からまず30人選り分けられる。 第二次設計競技はこの30人対象に、第一次競技から1週間以内行われ、ここで建物全体構成技法表現試され製図棟の中で24時間以内エスキス仕上げる。この第二次審査によってさらに8人の最終候補者選び1864年からは10人)、その後本格的な大賞設計競技が始まるのである第二次審査結果発表され瞬間から、最終競技開始されることになり、提出期限7月までの約4か月最終選考にこのった先鋭たちは最終目標向かってひたすら走り続けるのであるがここでもエスキス段階があり、候補者はまず、通常の設計競技と同様、製図棟で作業を行わねばならない課題その時点で渡されるので、この12時間が全体構想決定するが、これは最終提出図面はこのエスキス示した構想合致してなければならないためで、エスキス作成した候補者達はその後の4か月各自所属するアトリエ必死作業を行うことになる。ローマ大賞受賞者輩出するのはアトリエにとっても名誉でもあり、またそのアトリエの格を決定する最大基準でもあったので、あるアトリエ誰かが最終候補まで残ることがあれば大変な騒ぎであったという。締切り間際アトリエメンバー総がかり手伝うこととなり、大図面が次から次に描かれていったという。現に幅7mの立面図残っていて、コピーなど全くない時代この作業桁外れ労力を必要とした。 一度ローマ大賞得れば基本的に将来公共部門大建築を委託され、またボザールのアトリエ・パトロンの道が開け、当然アカデミー会員選ばれる可能性もある。そのため、学生達はこの大賞獲得のために執念燃やした1826年受賞するレオン・ヴォードワイエ5年間、この設計競技続けトニー・ガルニエ6年ジャン=ルイ・パスカル7年エドモンジャン・ポーランはじつに8年間も、設計競技挑んだといわれる大賞受賞者年齢もしたがってかなり高く、ほぼ30歳近かった規定により大賞応募資格15歳から30歳までとなっており、この年齢を25歳にまで引き下げた1863年大改革は、学生反対呼んだ。なお逆に初期アンリ・ラブルースト、ルイ・デュグ達は23歳大賞輝き、ネオ・グレコの運動起こし、またシャルル・ガルニエ23歳大賞受賞で、周囲人々期待一身受けたという。 ローマ大賞獲得すると、ローマのフランス・アカデミー(Académie de France à Rome通称ヴィラ・メディチ) に派遣される王立アカデミー時代3年留学期間だったが、エコール・デ・ポザール設立とともに5年引き上げられた。1863年改革では、いったん4年となったが、のちに5年間となる。フランス・アカデミーは、第一次第二次大戦時期除いて毎年留学生受け入れローマ大賞なくなった今日でも存続している。近代的な交通機関の整備されていなかった19世紀半ばまでは、ローマ行けるということ自体きわめて価値あることであった。むろん、19世紀末になってイタリア旅行がいともたやすくできるようになってきても、5年間の日々を国の費用古典建築研究に費すことのできる留学生立場代々人々圧倒的に凌いでいた。 1846年ギリシアアテネにもアカデミー出先としてエコール・フランセーズ・ダテヌ(École française d'Athènes)が創立されそれ以降ローマからアテネまで足をのばす留学生増えて、特にギリシア本土建築中東建築見て回るにはこのエコール・フランセーズ・ダテヌは良き中継点だったようである。 ローマ留学生は、美術アカデミーから年間課題課せられ、毎年1回パリにそれを送らねばならないことになっている内容としては古典建築実測復原研究とされていたが、テーマ自体はみずから選ぶ。留学生からローマから送られ図面類は毎年ボザールのメルポメーヌの間で展示、これも学校一大行事であったが、1829年アンリ・ラブルーストのようにパエストゥムギリシア神殿実測研究送ったり、あるいは、1909年トニー・ガルニエ古典建築と関係のない「工業都市」の図面送りつけたりした時など、展覧会大騒ぎとなった伝えられている。

※この「建築賞」の解説は、「ローマ賞」の解説の一部です。
「建築賞」を含む「ローマ賞」の記事については、「ローマ賞」の概要を参照ください。


建築賞

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/16 02:01 UTC 版)

日本建築家協会」の記事における「建築賞」の解説

日本建築大賞・日本建築家協会賞 日本建築家協会の本賞にあたる。年間通じて特に際立った成果をあげた作品表彰するJIA新人賞 作品通じて新進建築家表彰するJIA 環境建築賞 環境関連するテーマ通じて社会資本としての建築創造することができたものを評価するJIA 25年賞 25年以上に亘り「長く地域環境貢献し風雪に耐えて美しく維持され社会に対して建築の意義語りかけて来た建築物」を表彰する

※この「建築賞」の解説は、「日本建築家協会」の解説の一部です。
「建築賞」を含む「日本建築家協会」の記事については、「日本建築家協会」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「建築賞」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「建築賞」の関連用語

建築賞のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



建築賞のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのローマ賞 (改訂履歴)、日本建築家協会 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS