建築過程
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「イエス=キリスト=教会 (ダーレム)」の記事における「建築過程」の解説
20世紀初頭において、ベルリン郊外のダーレム御料地の区画は農地として供給しないことを、国側は決定していた。ダーレム御料地の土地区画は別荘もしくは邸宅用地として供給され売却された。その後、地域住民の数は急激に増加した。1904年の段階において104人だったダーレムの住民数は1919年には12,600人になっていた。多くの新住民が、とりわけ高級官吏がダーレム地域に転居した。中世期に建設された聖アンネン教会では増加した礼拝出席者を収容するのには小さ過ぎた。そのため、福音主義教会共同体は第2教会の教会堂設計コンペを告知した。1914年3月15日にハインリヒ・シュトラウマーの教会堂建設に関する設計案が選ばれた。しかし、この設計案は第1次世界大戦が勃発したため、現実のものにならなかった。 教会共同体の経済的状況が好転した後、1927年にティールアレーに教会共同体会館が完成し、教会堂建設が具体化し出した。設計コンペに関してルートヴィヒ・バルトニングが大きな影響を与えていた。彼は建築家オットー・バルトニングベルリン芸術大学教授の弟で、教会共同体の役員でもあった。彼は当時流行していた教会堂のスタイルを好んでいた。それは教会堂入り口に向かい合う形で祭壇を置くスタイルであり、説教壇の価値を重く見ない傾向がその時代において顕著であった。この影響が1928年11月に公示された設計公開コンペにも出ていた。1929年3月における設計コンペにおける当選者はダーレムの建築家のユルゲン・バッハマンに決定した。 教会堂建設の前に発生した世界恐慌の影響によって、新たに大きな経費削減を強いられた。その結果、教会堂に付帯する住宅用建物の建築は延期された。1930年10月18日、定礎式がおこなわれた。困難な時期であったが、ダーレム教会共同体は新たな方向性を社会に示した。教会堂の建設労働者たちにクリスマス臨時手当を支払うために、上棟式が取りやめられた。1932年12月20日に、ダーレム教会共同体は献堂式をおこなった。
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建築過程
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「コロニア・グエル教会」の記事における「建築過程」の解説
1898年、ガウディは工業団地内の教会堂の建設を依頼された。そして設計する際、構造的安定性を追求するために逆さ吊り実験を行った。しかしこの実験は極めて複雑だったので計画案作成に10年も要し、着工は1908年であった。それから6年後の1914年、ガウディはサクラダ・ファミリア聖堂に専念するため、建設から退き助手たちに任せた。1915年、半地階部が落成し、教会堂として利用された。それから仮設の屋根などがつけられたが、1916年に建設は完全に中断した。1955年から教区教会堂となった。今でも上層は未完成である。
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