大聖堂のゴシック様式
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「聖ヴィート大聖堂」の記事における「大聖堂のゴシック様式」の解説
現在のゴシック様式の大聖堂は1344年の11月21日に設立され、これよりプラハ司教区は大司教区に上げられた。その後援者には、大聖堂の首席司祭をリーダーとする参事会、パルドゥビツェのアルノスト大司教、とりわけボヘミア王で神聖ローマ皇帝にもなったカレル1世が挙げられる。カレルは新しい大聖堂を、即位式を行う教会、一族の地下納骨堂、王国で最も貴重な遺物の保管庫、そして守護聖人ヴァーツラフの最後の休息地であり巡礼地となるよう取り計らった。 最初の建築家として、フランス人アラスのマティアがアヴィニョンの教皇庁宮殿から召喚された。マティアは、フレンチ・ゴシック様式を取り入れて、建物のレイアウト全般をデザインした。例えば身廊が3本のバシリカとフライング・バットレス(飛び梁)、短い翼廊、ベイが5つのクワイヤ、回廊のある十角形のアプス、放射状の礼拝室である。しかし彼の生前に建設されたのは、クワイヤの東端の部分、アーケードと回廊だけであった。後期フレンチゴシックに特有な垂直性の乏しさ、頑ななまでの大きさへの傾倒が彼の功績を今日に伝えている。 マティアが1352年に世を去ると、新しい建築家が大聖堂の仕事を引き継いだ。これがペトル・パルレーシュで当時わずか23歳、シュヴァーベンのグミュントにあるハイリゲン・クロイツ教会の建築家の息子だった。パルレーシュは最初、前任者の残した計画通りに動いて、クワイヤの北に聖器保管室を、南に教会堂を作った。マティアが未完のまま残した部分を完成させると、自分自身のアイデアにしたがって仕事を続けた。パルレーシュの大胆で革新的なデザインは、建築にゴシック要素に新しい独特な風合いをもたらした。これが顕著に表れているのが、クワイヤに彼がデザインしたヴォールトである。いわゆるパルレーシュのヴォールト、もしくはネット・ヴォールトでは、クワイヤのベイを斜めに横切るリブが、古典的なゴシック様式の交差ヴォールトのように1本ではなく、2本ある。網目状にリブが交差するためネット・ヴォールトと呼ばれ、ヴォールトをかなり補強することができる。それらのリブが天井装飾にリズム感を生み、ヴォールトのベイとあいまって、大聖堂の長辺にダイナミックなジグザグパターンを生み出す。 アラスのマティアが幾何学者として学問を修め、上記のように厳密な均衡を強調して数学的で明快な配置をデザインしたのに対し、パルレーシュは彫刻家兼木彫師として修行した。彼は建築を彫刻とみなし、まるで石の造形を楽しんでいるかのようだった。かなり大胆に作ったヴォールト以外にも、彼の作品の特異性は様々な箇所に見られる。ピラーのデザインは古典的な釣鐘型の柱で、盛期ゴシックではほぼ忘れ去られたものである。また新しい聖ヴァーツラフ礼拝堂の巧妙な丸天井のヴォールト、クリアストーリの壁の波型、バットレスの隠れたトレサリーのパネルの特異性も挙げられる。独自のトレサリーには常に異なった装飾が施されて二つとして同じものがない。パルレーシュが建設を担当している間は、コーベルや通路の窓の横木のように建築彫刻が重要視され、特にトリフォリウムの胸像には、王族や聖人、プラハの司教、パルレーシュ自身を含む二人の建築家の顔が彫られている。 しかし大聖堂の作業の進行はかなり遅かった。皇帝はパルレーシュに、他の多くのプロジェクトを大聖堂と同時期に課しており、プラハに新しくカレル橋を架けたり、チェコ全域に多くの教会を建設したりしていたからである。1397年にペトル・パルレーシュが逝去したときには、クワイヤと翼廊部分だけが完成していた。 ペトル・パルレーシュの死後、彼の息子のヴェンツェル・パルレーシュとヨハン・パルレーシュが作業を引き継いだ。彼らの後は、名工ペトリルクが引き継いだが、彼はパルレーシュの工房の職人でもあったというのが衆目の一致するところである。彼ら3人の名匠の下、翼廊と南側の大塔が完成した。そして塔と南の翼廊をつなぐ破風も完成した。通称ゴールデン・ゲート、上部に「最後の審判」の金色のモザイクがあるためそう呼ばれるこの門は、王が即位式に臨むため大聖堂へと通り抜ける入り口である。 建築過程すべては15世紀前半に起きたフス戦争の開始により停止した。ほぼ1世紀にわたって確実な作業を続けてきた工房は戦争により活動を止め、多くの絵や彫刻などの大聖堂の内装はフス派の聖像破壊運動によってかなり被害を受けた。さらに、1541年の大火が大聖堂にひどい損壊を与えた。
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