大聖堂としての聖別
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 04:55 UTC 版)
「セントアンドリューズ大聖堂 (シンガポール)」の記事における「大聖堂としての聖別」の解説
1869年、教会はカルカッタ教区からラブアン教区とサラワク教区へ移管された。大執事のジョン・アレイン・ベックルズは合同教区の大聖堂として聖別を行った。 教会の鐘リビアベルは、1889年に取り替えられ、シンガポール国立博物館に展示されている 。大聖堂はシンガポール教区の教会会議の所有となっており、1909年にはJ・ファーガソン=デイビー牧師が初めて聖公会の主教として任命された。日本軍が侵攻した1942年には、シンガポールが制圧される直前まで、大聖堂は救急病院として使用され、また、1952年には第二次世界大戦による死者を追悼するための、メモリアルホールが建設された。 大聖堂の北と南に位置する翼廊は、元々は馬車用のポーチとして造られたが、ホール、会議室、オフィスを建設するために、1952年に北の翼廊、1983年には南の翼廊が拡張された。 1973年6月28日、セントアンドリューズ大聖堂は、シンガポールの国定記念物として公示された。 その後、増加する会衆への対応として、2003年に「Cathedral New Sanctuary(大聖堂の新聖域)」と呼ばれる拡張計画が持ち上がった。国定記念物の要件へ対応するため、既存の建物を改築することができず、新たな礼拝堂を地下に建設し、Cathedral New Sanctuary は2005年11月に完成した。
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