大聖堂に関わった人々
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「ブラガ大聖堂」の記事における「大聖堂に関わった人々」の解説
聖ペドロ・デ・ラテス 伝説によると、12使徒聖サンティアゴ・マイオールに任命され初代ブラガ司教(45年-60年)となった。おそらく彼の亡骸が大聖堂内に保存されている。 聖マルティン・デ・ブラガ (520年頃-580年) 6世紀のブラガ司教。スエビ族をカトリックに改宗させた。 エンリケ・デ・ボルゴーニャ (1066年-1112年) 1093年から死の年までポルトゥカーレ伯。彼はブラガを伯領の首都とし、大聖堂建設を奨励した。王の礼拝堂に埋葬されている。 テレサ・デ・レオン (1080年-1130年) 1094年にポルトゥカーレ伯エンリケと結婚。アフォンソ1世の母。王の礼拝堂内に埋葬された。 対立教皇グレゴリウス8世 (1137年死去) 2代目ブラガ大司教。本名マウリシオ・ブルディノ(フランス語名モーリス・ブルダン)。フランス系。ブラガの大司教座設置を助けた。神聖ローマ皇帝ハインリヒ5世とローマ教皇の争いに巻き込まれ、皇帝の意向により対立教皇グレゴリウス8世に選出された。 ヨハネス21世 (1215年頃-1277年) リスボン生まれで名をペドロ・ジュリアォンといった。13世紀のブラガ大司教。1276年に教皇に選出された。 ディオゴ・デ・ソウサ (1461年頃-1532年) 1505年から1532年までブラガ大司教を務めた。ブラガの都市と大聖堂双方を現代化した。信仰の礼拝堂に埋葬されている。 ウィキメディア・コモンズには、ブラガ大聖堂に関連するメディアがあります。
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