仮宮(姫宮)のあった場所
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/22 09:48 UTC 版)
「大神木神社」の記事における「仮宮(姫宮)のあった場所」の解説
近隣の 須佐之男神社の由緒書きに『江戸期の寛永年間(1624年 - 1645年)に山田村長野の樫切山にあった「三社の宮(みやしろのみや:三は御の略字)」の御祭神を合祀』とある。「宮」は皇族の住居や皇祖神を祀る社に用いられ、その他の豪族の氏神を祀る神社には使われない。須佐之男神社の摂社に多紀理毘売命、多岐都比売命、市寸島比売命、天穂日命、天津彦根命、活津彦根命、熊野久須毘命、皇祖神天忍穂耳命を一塊に祀る八王子社がある。皇祖神である天忍穂耳命を祀るため「御社の宮」と冠するに相応しい。八王子社は山田東社の摂社にも存在するなど摂社を主体とする。従って樫切山にも八王子社を摂社とする社があったはずである。その樫切山の南斜面には「尺谷」という地名がある。「尺」(しゃく)は長さの単位で地名を指すとは考えられない。味古上のように借字とすれば「借」(しゃく)の字が該当する。仮宮の「仮」を発音から「借」と字誤ったか、旧字が「假」であるため「借」の字に代替えたものであろう。普段馴染みのない抽象的な「仮」の文字よりも、物や金銭の貸し借りの「借」の方が日常一般的である。「仮宮の谷」を「借宮の谷」と記し、読み方を省略して「借谷」、これを「しゃくたに」と呼称。さらに音読みの「しゃく」から「尺」の字をあて「尺谷」になったと思われる。 従って現在の「尺谷」が姫宮(仮宮)にあった小川谷であろう。その尺谷には近年まで溜め池が存在している。姫宮が高庭山に遷座した同じ年の仁寿2年(852年)には、朝廷から諸国の国司・郡司に「池堰を修築し開墾を勧めよ」と発令があり、発令に従い姫宮を高庭山に遷し溜池を造ったと思われる。これが高庭山に遷座した理由であろう。雄略天皇の御代この辺りには海岸線が広がっていたが、海岸線が急激に後退し跡を追うように水田が開墾されたため農業用水が不足する事態になったと思われる。農地への水不足を解消するため溜め池であろう。この溜め池が在った場所が現在の尺谷12丁目付近であり、ここに仮宮が在ったと思われる。
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