味古上(みこがみ・巫女神)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/22 09:48 UTC 版)
「大神木神社」の記事における「味古上(みこがみ・巫女神)」の解説
付近の地図には「味舌上(マシタカミ)と味舌下」の地名がある。味舌(マシタ)は古くは“ウマシタ”と発音したと考えられている。ウマシとは“良い”を意味し、タは“田”を表す。総じて“良い田”という意味らしい。しかしこの地名には疑問が残る。元々一つだった味舌を江戸時代に味舌藩が廃藩したあと上下に区分けしたとされるが、近隣の 須佐之男神社の由緒書きには『聖武天皇の天平年間(729~749)に僧行基が諸国行脚の途中で味舌上村に金剛院(真言宗)を建立し寺の鎮守神として「午頭天王」を祀ったのが起源』とある。聖武天皇の御代に味舌上村が存在したことになり味舌上村の成立時期が矛盾する。味舌地域は平安時代に藤原氏の荘園が置かれており、味古上だった地名を藤原氏が味舌上に改名したと思われる。これは地名から藤原氏が社領を簒奪した事実を隠すためである。須佐之男神社の由緒書きも改竄されたのであろう。 淀川北岸において区分けされた地名を見ると「岸辺北,岸辺中,岸辺南」,「唐崎北,唐崎中,唐崎南」あるいは「高浜,南高浜」と方角がつく。「鳥飼上,鳥飼中,鳥飼下」と上下を付けた地名もあるが、これは更に時代が下がり新しく陸地となった場所だ。岸辺や唐崎、高浜と同時代に区分けされながら「上」が付くのは、元々この辺りに味古上(みこがみ・巫女神)と呼ばれてる地域が存在したからである。巫女とは神に奉仕する女性をいう。伊邪那美神は伊邪奈岐神との夫婦神であり巫女神の名には相応しくない様に思える、一方、豊受大神は天照大神の給仕を司る食津神であり巫女神の名に相応しい様に感じる。巫女神とは豊受大神を差したものであろう、則ち姫宮とは伊勢遷宮途上この地に在った仮宮だと判る。
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