皇位継承戦争と死
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/19 14:00 UTC 版)
「アーザム・シャー」の記事における「皇位継承戦争と死」の解説
1707年3月3日、老帝アウラングゼーブは死亡した。死の数日前、アーザムには自身の悲痛な気持ちをしたためた手紙を送っている。マールワーに行く素振り見せながらもアフマドナガルの外にいたアーザムは、翌日にフルダーバードに埋葬されるアウラングゼーブに哀悼の意を伝えた。 そして、同月14日、アーザムはアウラングゼーブの正統な後継者として、自ら帝位を宣言し、「アーザム・シャー」を号するところとなった。一方、兄のムアッザムと弟のカーム・バフシュもまたそれぞれ帝位を宣し、他の兄弟との対決を鮮明にしていた。 同年6月19日、アーザム・シャーはアーグラ近郊ジャージャウーにおいて、バハードゥル・シャーの名を号する兄ムアッザムとの対決に及んだ(ジャージャウーの戦い)。戦闘は一日で決着し、アーザム・シャーは息子のビーダール・バフト、ワラー・ジャーとともに戦闘で敗れて殺害された。
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