皇位継承者としての称号
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「ヴェリーキー・クニャージ」の記事における「皇位継承者としての称号」の解説
「ロシア大公一覧」も参照 1797年4月5日、ロシア皇帝パーヴェル1世が皇室典範を定め、ヴェリーキー・クニャージの称号は、皇帝の位にある統治者の子(娘も含む。女性に対してはヴェリーカヤ・クニャージナ。)たちの称号として用いられることになった。この場合のヴェリーキー・クニャージは、西欧の「Prince du sang(en)」に近似しているが、完全に一致するものではなかった。ヴェリーキー・クニャージの称号は、所有者に、ロシア皇帝の継承者の1人であるとする法的根拠を与えたが、皇帝の決定により剥奪される可能性があった。 1886年7月2日以降、アレクサンドル3世の定めた皇室典範によって、ヴェリーキー・クニャージの称号は、皇帝の子と孫のみが冠することが可能な称号となった。曾孫以降に対しては、クニャージ・インペラトルスコイ・クロヴィ(Князь императорской крови(ru) / 意訳:皇帝の血縁の公)の称号が与えられた。
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