皇位継承者指名
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「フランツ・フェルディナント・フォン・エスターライヒ=エステ」の記事における「皇位継承者指名」の解説
1889年1月、従兄ルドルフ皇太子がマリー・フォン・ヴェッツェラと共に情死した。このため、父カール・ルートヴィヒが皇位継承者となった。 1895年、フランツ・フェルディナントは当時不治の病とされた結核の疑いがあると診断されていたことから、軍隊の旅団長の地位を降りることをフランツ・ヨーゼフ1世に申し出た。皇位継承者には弟のオットー・フランツ大公が選ばれるであろうという憶測も流れ、フランツ・フェルディナントに見切りをつけてオットー・フランツに媚びを売る者もいたが、南チロルのメラーノで療養につとめた結果、フランツ・フェルディナントは1年半ほどして健康を回復した。1896年に父カール・ルートヴィヒが腸チフスで死去すると、フランツ・フェルディナントが伯父フランツ・ヨーゼフ1世の皇位継承者に認定された。結核の療養を済ませたフランツ・フェルディナントは、この頃から政治活動を開始するようになった。
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