積石塚とは? わかりやすく解説

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つみいし‐づか【積(み)石塚】

読み方:つみいしづか

古墳の一形式。土の代わりに石を積んで築いたもの。日本では香川県高松市石清尾山(いわせおやま)にあるものが有名。石塚ケルン


積石塚

読み方:ツミイシズカ(tsumiishizuka)

石を積み墳丘築造した古墳


積石塚

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/30 16:41 UTC 版)

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相島積石塚群の相島北塚

積石塚(つみいしづか)は、を積み上げて墳丘を造っているである。 石塚・築石塚などと呼んだ時代や、他にケルンなども提唱されたが、近年はこの名称に定着している。 この用語は他の時代(縄文時代中世)や地域(例、朝鮮半島等)でも使用されるが、この項では、古墳時代に限って説明する。

概要

古墳時代にこの墓形式が存在する地域は、香川県から徳島県の一部の地域と長野県山梨県甲府盆地北縁など一部の地域に顕著に見られる。また、長崎県対馬山口県見島、そのほか、宮崎県愛知県静岡県群馬県などにもみられる。 なかでも全長100メートルの海浜部に254基もの積石塚が拡がる福岡県相島積石塚群長野県長野市大室古墳群、香川県高松市石清尾山古墳群、山口県萩市見島ジーコンボ古墳群などが知られる。

香川・徳島のものは古墳時代前期(3~4世紀)を中心とし、香川の石清尾山古墳群では積石塚の前方後円墳9基、双方中円墳1基、円墳30数基がある。 長野・山梨のものは中期後半から後期(5~6世紀)にかけて形成された群集墳にみられる。 約500基からなる長野市松代町に所在する大室古墳群は、日本最大の積石塚古墳群で、大部分が積石塚であり、埋葬施設の多くが横穴式石室である[1][2]

長野県史跡である積石塚古墳群の八丁鎧塚古墳(長野県須坂市大字八町)は、第1号から第5号まである。出土品として碧玉勾玉(へきぎょくせいまがたま)・貝釧(かいくしろ)などがあるが、その出土鏡によって、これまでは6世紀以降の築造とされてきたが、5世紀代に溯るものと改められた。

長野県の積石塚は高句麗からの渡来人が築いたとする説が存在し、考古学的にも実証されている[3]。渡来人が北陸ではなく長野県に定住したのは、豪雪地帯では馬の飼育が不可能であるからである[4]

長野県の高句麗系渡来人として、卦婁真老、後部黒足、前部黒麻呂、前部秋足、上部豊人、下部文代、高麗家継、前部貞麻呂、上部色知、前部綱麻呂などが挙げられる。

脚注

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注釈

出典

  1. ^ 白石太一郎「積石塚」(『日本考古学事典』p.589)
  2. ^ 犬木努「積石塚」(『日本史大事典』p.1117)
  3. ^ 桐原健『積石塚と渡来人』(東京大学出版会、1989年)
  4. ^ 市川健夫『牛馬と人の文化誌』(市川健夫先生著作集刊行会編集、2010年)

参考文献

関連項目

外部リンク




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