石室構造
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/26 04:51 UTC 版)
石室は南側に開口しており、直径20〜30センチメートル、長さ40〜50センチメートルの丸石で組みあげられ、壁が彎曲した長さ3メートル、幅1.5メートル、高さ2.3メートルの2つの石室が、長さ4メートル、幅1メートルほどの羨道(通路)で繋がれていた。床は平石仕上げ。これらの石は、木曽川、あるいは庄内川の上流から運ばれたと考えられている。また複数の人骨が見つかっている事から、この墳墓に複数回の埋葬が行われたと見られている。
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石室構造
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/24 20:21 UTC 版)
後円部頂上中央に存在する方形区画の真下につくられた竪穴式石室は、主軸をほぼ南北に持ち、長さ8.55メートル、幅1.09メートルという巨大なものである。その構築法は東西の長い側壁は扁平な割石を小口積みするもので普通の竪穴式石室とかわらないが、南北の短い側壁は大きな一枚石でつくられており、しかもこの石の上半中央部には孔が開けられていた。このような石室例は大阪府柏原市の松岳山古墳にその類例がみられるだけで、きわめて特異なものである。また、内部には長大な木棺を蔵していたと推測される(調査当時は腐朽し消滅)。この石室の天井石5枚あって、それぞれ前後の短側石に縄突起を付けていた。このような縄突起は古墳時代中期になると長持形石棺の蓋石や長側石に付けられることが多い。さらに、この天井石の上に屋根形をした石棺の蓋のように見える大型の石が置かれており、表面に直線の平行文様が線刻されている。魔除けの一種として施されたものではないかと考えられる。
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石室構造
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 03:29 UTC 版)
切石積横穴式石室で、横口式石槨を奥室とする形状である。奥室、前室、羨道からなり、全長は12メートルである。奥室は右側壁で長さ2.47メートル、左側壁で2.6メートル、幅は1.09メートル~1.12メートル、前室の長さは、右側壁で2.47メートル、左側壁で2.46メートル、幅は1.36メートルある。奥室、前室はすべて花崗岩切石を使用している。奥石は1石よりなり高さ1.32メートル~1.40メートル幅1.08メートル~1.14メートルである。天井石は奥室で1枚(長さ2.47メートル以上)、前室で1枚残存しているが本来は奥室1枚、前室では2枚の構造である。天井石の内法面はきわめて平滑に仕上られている。羨道の長さは約6メートル前後、幅1.5メートル~1.6メートルで、切石を使わず自然石を6~7段に積上げる構造であった。
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石室構造
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 09:19 UTC 版)
石室の奥壁は後円部中心から南に約4メートル寄っており、地山を掘り下げて構築されている。石室の石材は凝灰岩。玄室は奥壁1枚・西壁2枚・東壁1枚・天井石3枚・床面7枚の切石から構成される。このうち東壁の一枚石が最も大きく、長さ約2.8メートルを測る。また両側壁は奥壁を挟む関係で内傾するが、これは常陸中央部・北部に見られる「切石台形組石室」の特徴になる。 玄室前の玄門は、左右に玄室側壁から突出した柱石2石、上に柱石間を架構する楣石、下に柱石間を埋める梱石の4石で構築される。楣石の架構に際しては、玄室側壁のL字状の切り込み加工が認められる。この玄門は、凝灰岩板石1枚と礫によって閉塞される。板石は高さ約1.2メートル・上幅0.9メートル・下幅1.2メートルの台形状で、厚さは約20センチメートル。柱石・楣石には板石を安定させるための枘が切られる。 羨道は中小の切石を3段に積んで構築される。羨道の天井石は1枚であるが、羨道全体は覆っていない。また床面には凝灰岩の敷石が設けられるが、後述の墓道の敷石とは異なり、比較的大きく面の整った石が使用される。 羨道前には墓道が接続し、墳裾のテラス状平坦面に続く。羨道前端から墓道の中程までは敷石が設けられる。墓道の前面には、周溝までの緩斜面の前庭部において、東西2群の礫群が検出されている。礫群は古墳完成後に土が堆積した上に形成されていることから、追葬時の儀礼の痕跡と推測される。 石室レプリカ玄門 石室レプリカ展開図
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