弘法山古墳とは? わかりやすく解説

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弘法山古墳

名称: 弘法山古墳
ふりがな こうぼうやまこふん
種別 史跡
種別2:
都道府県 長野県
市区町村 松本市神田並柳
管理団体
指定年月日 1976.02.20(昭和51.02.20)
指定基準 史1
特別指定年月日
追加指定年月日
解説文: 松本平野の東南見られ弘法山俗称される丘陵先端所在する前方後円墳である。墳丘主軸丘陵稜線合致させ、西に前方部、東に後方部をおき、よく前方松本平野を一望しうる好位置占めている。墳丘長さ63メートル後方部の幅は33メートル、高さ4メートル前方部は幅26メートル、高さ3.5メートル算えるが、比較的強い傾斜稜線上に立地するため、後方部の比高きわめて高いものがある。墳丘上には埴輪円筒列を見ない葺石顕著である。後方部の中央には主軸直交して竪穴式石室思わせる一種礫槨発見された。南北6.6メートル東西5.45メートル測るが、中央木棺収めた竪穴式石室状の構造見られる内部からは、北壁あたかも被葬者頭上当る位置から鉄斧発見されたほか、鏡、銅鏃鉄鏃鉄剣ガラス小玉などの副葬品がみられた。立地墳形石室構造副葬品から推察して現在長野県下における最古属す一群古墳1つ考えられるものであり、また、早い時期におけるこの地域への古墳文化受容なり導入を示す資料としてきわめて重要な意義をになう古墳である。

弘法山古墳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/16 21:57 UTC 版)

弘法山古墳

後方部から前方部を望む(眼下に松本盆地
所在地 長野県松本市並柳2-1000
位置 北緯36度12分46.9秒 東経137度58分58.30秒 / 北緯36.213028度 東経137.9828611度 / 36.213028; 137.9828611座標: 北緯36度12分46.9秒 東経137度58分58.30秒 / 北緯36.213028度 東経137.9828611度 / 36.213028; 137.9828611
形状 前方後方墳
規模 全長 66 m
出土品 四獣鏡、鉄剣、勾玉など
築造時期 3世紀末 - 4世紀中葉
被葬者 不明
史跡 昭和51年(1976年)国指定
地図
弘法山古墳
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弘法山古墳(こうぼうやまこふん)は、長野県松本市並柳にある古墳東日本最古級の3世紀末から4世紀中葉頃築造の前方後方墳である。西日本でいう出現期・発生期古墳とほぼ同時期と推定される。

概要

松本市南西部の中山の先端(弘法山、標高約650m)にあり、墳丘長66m、後方部幅33m 、前方部幅22m 、後方部の高さ6m 、前方部の高さ2m 、葺き石が部分的に認められたが埴輪の設置や周濠などは認められなかった。

築造年代は一般に古墳の出現期とされる3世紀中葉に遡ると考えられているが、4世紀中葉を下らないともいわれている。東日本特有の前方後方墳が前方後円墳に先駆けて出現し、長野県では長野市姫塚古墳が同時期の前方後方墳であり、山梨県では4世紀の築造である小平沢古墳が出現している。

埋葬施設は墳丘の長軸に直交する竪穴式石室状の河原石を積み上げた礫槨で、8.8×5.5m の墓壙の中央に、長さ5.5m 、幅1.3m 、高さ0.9mで、天井石はない。箱形の木棺に埋葬されていたものとみられる。内部からは「上方作鏡」銘の四獣文鏡1面、銅鏃1、鉄剣3、勾玉、ガラス小玉738、鉄斧1、鉄鏃24、S字状口縁台付甕などが発見された。出土したものは同市中山の松本市立考古博物館に展示されている。

棺の外側には壺(底部穿孔)・高坏・手あぶり型土器などを葬送儀礼が行われている。その土器は濃尾平野の元屋敷式土器である可能性が強い。また畿内地方の土器型式でいうと庄内式の新しい段階のものか布留式の最も古い段階のものに相当すると考えられる。

前方後方墳は、弥生後期に東海地方西部の濃尾平野において見られる前方後方形の方形周溝墓が祖形であるとも考えられており、濃尾平野は『魏志倭人伝』に出てくる邪馬台国と闘った狗奴国(くなこく)が展開していたとする説があることや、東海地方特有のS字甕が出土していることから、被葬者は濃尾地方の勢力と結んだ地域の首長墓とも考えられる。ただし前方後方墳は最大級のものがいずれも畿内にあることや、狗奴国は九州南部と見る説が有力であることから、必ずしも濃尾地方との勢力を見いだすことはできない。また被葬者とその後裔の正体は明らかではないが、比較的近くに勢力を持った古代氏族としては洲羽国造諏訪氏)が挙げられる。

ソメイヨシノヤエザクラなど2,000本が植えられており、の名所として紹介されることが多い。また市街地全体が見渡せる立地であるため、テレビ番組で弘法山古墳から市街地を撮影した映像が流れることも多い。春には花見客でにぎわう。

ギャラリー

文化財

国の史跡

  • 弘法山古墳 - 1976年(昭和51年)2月20日指定[1]

長野県指定文化財

  • 県宝(有形文化財)

アクセス

脚注

  1. ^ 弘法山古墳 - 国指定文化財等データベース(文化庁
  2. ^ 弘法山古墳出土品(松本市文化財ホームページ「松本のたから」)。

関連項目

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