弁慶ヶ穴古墳
名称: | 弁慶ヶ穴古墳 |
ふりがな: | べんけいがあなこふん |
種別: | 史跡 |
種別2: | |
都道府県: | 熊本県 |
市区町村: | 山鹿市熊入町 |
管理団体: | 山鹿市(昭32・7・31) |
指定年月日: | 1956.12.28(昭和31.12.28) |
指定基準: | 史1 |
特別指定年月日: | |
追加指定年月日: | |
解説文: | 台地上にあり、南面する前方後円墳とみなされるが、前方部はほとんど失われている。後円部は基底径推定約27メートル、高さ約5.70メートルを有し、ほぼ西南に面して横穴式石室が開口している。石室の羨道部は缺失し、前室と後室との二室のみが存するが、側壁は下方に巨大な板石を並列せしめ、上方に横に長く割石を積築して次第に縮約を見せ、天井石に達するもので、後室の奥壁には、左右に袖石を立て上に棟をもつ屋根形の板石を架した厨子状の施設がある。後室の長さ約3.45メートル、幅約2.75メートル、高さ約3.60メートル、前室は長さ■有する。 石室は古くから開口し、壁面の一部に馬を示す図象のほどこされていたことが知られていたが、昭和31年7月、清掃の結果、前室の壁面等に鮮麗な絵画の存することが明かにされた。これらの絵画は、円文、菱形文、三角文を復合した幾何学的な文様のほかに赤色によって馬を乘せた舟、屋形を配する舟等の復雑な図様も施されており、その異色ある表現は雄渾な筆致とともにこの種の古墳壁画の中においてもきわめて優秀なものである。 |
弁慶ヶ穴古墳
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/09/24 07:25 UTC 版)
弁慶ヶ穴古墳 | |
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所在地 | 熊本県山鹿市熊入町286-1 |
位置 | 北緯33度01分33.6秒 東経130度41分9.1秒 / 北緯33.026000度 東経130.685861度座標: 北緯33度01分33.6秒 東経130度41分9.1秒 / 北緯33.026000度 東経130.685861度 |
形状 | 円墳(もとは前方後円墳であったとする説もある。) |
規模 | 直径約15m、高さ約5.7m(石室の全長は約11.5m、後室の天井の高さは約3.6m。) |
出土品 | 鍔、雲珠、鉄鏃、金環等 |
築造時期 | 6世紀後半 |
史跡 | 国指定史跡(1956年(昭和31年)12月28日) |
地図 |
弁慶ヶ穴古墳(べんけいがあなこふん)は、熊本県山鹿市にある装飾古墳。国の史跡に指定されている。
概要
山鹿市中心部より北へ約1.2kmに位置する古墳時代後期の装飾古墳。巨大な凝灰岩を用いた前室・後室の複数の横穴式石室を設け、 西向きに開口している。石室入口に人物の彫刻があるほか、前室右壁には赤色でゴンドラ型の船を上下に二艘描き、そのひとつには馬を、もうひとつには荷物とその上に鳥が乗っている様子を描いている。この荷物を柩と見ることにより、舟葬思想(死後の世界を海の彼方にあると考え、遺体を舟に乗せて葬るという考え)を裏付けるものとして注目されている。他にも大小5頭の馬と鞭らしき物を持った人物像、同心円、三角文などを主に赤色の彩色を用いて描く。現在はとくに彩色の褪色が著しいため見学は厳しく制限されているが、熊本県立装飾古墳館に実物大の模型が展示されている。 出土遺物は鍔、雲珠、鉄鏃、金環など。
脚注
参考文献
- 『装飾古墳白書』装飾古墳を守る会 1978年
- 『熊本県装飾古墳総合調査報告書』熊本県教育委員会 1984年
関連項目
外部リンク
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