芝丸山古墳とは? わかりやすく解説

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芝丸山古墳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/21 13:29 UTC 版)

芝丸山古墳

全景(左が前方部、右が後円部)
所在地 東京都港区芝公園4-8
位置 北緯35度39分17秒 東経139度44分53秒 / 北緯35.654625度 東経139.748075度 / 35.654625; 139.748075座標: 北緯35度39分17秒 東経139度44分53秒 / 北緯35.654625度 東経139.748075度 / 35.654625; 139.748075
形状 前方後円墳
規模 106メートル
(復元長125メートル)
埋葬施設 不明
出土品 埴輪?・須恵器?
築造時期 4世紀5世紀
史跡 東京都指定史跡「芝丸山古墳」[1]
地図
芝丸山古墳
都内の位置
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墳頂の全天球画像(カメラの位置はくびれ部付近)
360°インタラクティブパノラマで見る
墳丘の全天球画像
360°インタラクティブパノラマで見る

芝丸山古墳(しばまるやまこふん)は、東京都港区芝公園にある古墳。形状は前方後円墳。東京都指定史跡に指定されている[1]

概要

芝公園が所在する標高約16メートルの台地先端部に位置し、前方部を南南西に向ける前方後円墳である。

築造は5世紀中頃過ぎ(4世紀後半との説もある)とみられ、墳丘長125メートル(案内板では106メートル前後)という都内では最大級の規模である[1]江戸時代には後円部頂が崩され、広場になっていたとみられている。

1892年明治25年)、3年間のヨーロッパ留学を終えた自然人類学者の坪井正五郎は、日本へ帰国する船上、故郷風景を思い浮かべていると芝公園内にある丸山の高さに不自然さを感じた。1898年明治31年)に坪井が発掘調査をしたところ、埴輪須恵器などの遺物を発見した。しかし後円部が削られたため埋葬施設は確認できず[1]、発見された遺物も周囲の小型円墳由来である可能性も否定できなかった。

文化財

1925年大正14年)6月6日の仮指定を経て、1952年昭和27年)4月1日に都指定史跡に指定された。1955年(昭和30年)3月28日には都指定旧跡に指定されたが、1979年(昭和54年)3月31日に種別変更により再び東京都指定史跡に指定された[1]

規模

  • 墳丘長:125メートル(案内板では106メートル前後)
  • 前方部前端幅:約40メートル
  • 後円部直径:約64メートル
  • くびれ部幅:約22メートル

ギャラリー

脚注

  1. ^ a b c d e 東京都教育庁地域教育支援部管理課. “芝丸山古墳”. 東京都. 2020年8月1日閲覧。

関連項目




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