周辺の関連遺跡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/29 05:19 UTC 版)
「白河舟田・本沼遺跡群」の記事における「周辺の関連遺跡」の解説
下総塚古墳の東側に位置する借宿集落は寺院跡(借宿廃寺)がみつかっており、北東約2キロメートルには律令時代の役所跡である関和久官衙遺跡がある。下総塚古墳の北方約5キロメートルには泉崎横穴古墳もあり、これらのことから、白河舟田・本沼遺跡群一帯は古代白河地方の中心地域であったと考えられる。 また、この阿武隈川沿いには多数の古墳群・遺跡が密集している。この地域の古墳に限って見れば、本稿の遺跡以外にも泉崎村の原山1号墳は5世紀末の全長20メートルの前方後円墳である事が確認されている。また、下流の北東側に隣接して中島村に蝦夷穴横穴墓群が発見されており、その東側対岸の石川町には大壇古墳群・悪戸古墳群そして玉川村の宮前古墳群と拡がっている。宮前古墳群から阿武隈川を挟んで西側に拡がるのが矢吹町の鬼穴古墳群・弘法山古墳群と、谷中古墳群などである。ここまでの区間はおおよそ20キロメートルほどの地域である。この他にも発見されている多数の古墳・遺跡が存在する。この地域に古墳・遺跡が密集する理由として考察されているのは、これらの地域が古代白河地方の重要な地域であり、有力豪族が多数存在した証であると思われる。
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