長持形石棺とは? わかりやすく解説

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ながもちがた‐せっかん〔‐セキクワン〕【長持形石棺】

読み方:ながもちがたせっかん

底・側・(ふた)を石板組み合わせて作った5世紀石棺運搬用の縄をかける突起作り出してある。


長持形石棺

主名称: 長持形石棺
指定番号 468
枝番 00
指定年月日 1991.06.21(平成3.06.21)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 考古資料
ト書 京都府城陽市久津川車塚古墳出土
員数 1合
時代区分 古墳
年代
検索年代
解説文: 久津川車塚古墳は、京都府城陽市平川山道一番地所在する前方後円墳である。明治二十七年現在のJR奈良線建設際し後円部採掘が行われ、石棺その内外から副葬品発見された。大正四年の梅原末治再調査とその報告書である『久津川古墳研究』によって学史著名な古墳になる。以来ながらく調査が行われることはなかったが、昭和三十七年同志社大学四十七年龍谷大学によって墳丘調査が行われた。
 一方発掘調査は、昭和五十年より城陽市教育委員会主体となって墳丘外周地区中心に断続的に実施している。これらの成果によって、古墳主軸をほぼ南北にとり、その規模全長一八メートル前方部一二三メートル後円部一一メートルとされている。墳丘周囲には平面盾形周濠しゆうこう】がめぐることもわかってきた。主軸平行して長持形石棺を置き、石棺前後割石積【わりいしづみ】の小石室をつくりつけている。
 長持形石棺は、中国組み合わせ木棺模したもので古墳時代中期盛行した本石凝灰岩六箇を組み合わせてつくり、石、側石に縄掛け突起をもつ。石は、外面蒲鉾形盛り上げるが、内面は平らである。両側石の縄掛突起は、一方の側石が長辺両端に二箇つけるのに対し他方一箇しかない。側石と小口との合わせには細い溝をうがち、また底石には段をつけて側石を合わせる小口方形の小突起がある。
 長持形石棺の遺例多くが、墳丘内に置かれたままであるのに対し、本例は、現在、大正四年に寄贈受けた京都大学文学部博物館展示されている。そのため古墳時代中期の長持形石棺をつぶさに知ることのできる恰好学術資料である。
 石棺同時に出土した副葬品には、石棺内から出土した三角縁神獣鏡さんかくちしんじゆうきよう】など七面の鏡や硬玉勾玉【こうぎよくまがたま】、碧玉勾玉【へきぎよくまがたま】、滑石勾玉【かつせきまがたま】、ガラス玉滑石臼玉うすだま】、滑石刀子【とうす】、鉄刀鉄剣石室から出土した甲胄鉄鏃てつぞく】など多数ある。これらは、現在では、鏡七面泉屋博古館となって重要文化財指定されているほか、京都大学東京国立博物館天理大学地主斯波逸郎氏とその一部寄託受けた山城郷土資料館分散して収蔵されている。このうち京都大学所蔵分については、石棺指定併せて保存活用を図るものである

長持形石棺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/22 17:53 UTC 版)

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お富士山古墳出土の長持形石棺(複製)
国立歴史民俗博物館展示)

長持形石棺(ながもちがたせっかん)とは、古墳時代中期にみられる組合式石棺の一種である。

概要

底石、長側石2枚、短側石2枚、蓋石の計6枚の板石から成る箱形の石棺で、その形状が長持に似ていることから命名された。

短側石と蓋石の上部はかまぼこ状に膨らみ、蓋石、長側石、底石に縄掛突起をもつ。

畿内の大型古墳で多く見られ、他地域の場合も首長層の古墳に用いている。畿内のものは兵庫県高砂市周辺に産する流紋岩質凝灰岩(竜山石)が使用される。

長持形石棺が出土した古墳

太字は竜山石製

関東地方

*このほか高柳銚子塚古墳三之分目大塚山古墳からは長持形石棺に類似する組合式石棺が出土している。

近畿地方

 *このほか出土地がわかっていないものが約10基存在する。また五社神古墳佐紀石塚山古墳宝来山古墳五色塚古墳で存在の言い伝えがある。

中国地方

九州地方

長持形石棺が展示されている施設

ギャラリー

参考文献

  • 間壁忠彦 『石棺から古墳時代を考える』同朋舎出版、1994年1月
  • 田村晃一・合田芳正 『考古学探訪の基礎用語』山川出版社、106頁、2000年7月

関連項目

外部リンク



長持形石棺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/14 22:14 UTC 版)

お富士山古墳」の記事における「長持形石棺」の解説

お富士山古墳使用された長持形石棺は、後円部墳頂の富士神社脇に保存されている。石棺砂岩製の6石板から成り全長285センチメートル、幅は121センチメートル重さは6.8トンである。箱形は底石(そこいし)・側石(がわいし)2枚小口石(こぐちいし)2枚形成されその上にかまぼこ形石(ふたいし)が載せられる。 この形状石棺5世紀における畿内王墓特有のものになり、この石棺使用例群馬県内では太田天神山古墳群馬県太田市)のみで、関東地方でも数例しか見つかっていない。石棺形態技法畿内のものと同様であるため、畿内工人当地製作した考えられており、畿内との強いつながり指摘される本石は、江戸時代の『発墳暦』や『伊勢崎風土記』にも記録されている。また、この石棺型取りして複製したものは国立歴史民俗博物館群馬県立歴史博物館でも展示されている。

※この「長持形石棺」の解説は、「お富士山古墳」の解説の一部です。
「長持形石棺」を含む「お富士山古墳」の記事については、「お富士山古墳」の概要を参照ください。

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