離湖古墳
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/11 20:18 UTC 版)
離湖古墳は、離湖に向かって島状に突き出した丘陵、離山にある離山古墳から40メートル南の丘陵頂部に位置している。網野町が離湖一帯を公園として整備するため、1990年度(平成2年度)から離山古墳の発掘調査を行った。離山古墳調査の終了間近に、その南側の台地を念のため調査したところ、長持形石棺の底石や副葬品の刀、短甲などが出土した。そのため、古墳であることが明らかとなり、この台地を「離湖古墳」と命名した。しかし、調査の期間や予算の都合により、墳丘等外部施設の調査は次年度に繰り越しとなった。 翌1991年度(平成3年度)に離湖古墳全体の調査が行われ、墳丘の南北の裾から埴輪が出土した。しかし、この古墳は後世に削平された形跡が見られ、築造当時の墳形、規模は確定できなかった。 墳丘規模は推定で、東西34メートル、南北43.4メートル、高さ6.35メートル。これは丹後地方の古墳では有数の規模である。古墳の年代は5世紀頃であると考えられる。2002年(平成14年)に京丹後市指定文化財(史跡)に指定された。 また、離湖古墳より出土した長持形石棺は墳丘上に建てられた覆屋に安置され、見学することができる。
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