離現役、民間医師としての後半生
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 03:37 UTC 版)
「岡田国太郎」の記事における「離現役、民間医師としての後半生」の解説
守山帰郷と再上京 1906年(明治39年)8月21日、父の病気を理由に陸軍軍医学校教官を休職する。その後、予備役に編入されると郷里守山に戻り、父を看病しつつ医院を開業、後に弟の吉相も加わり、守山で地域医療に従事する。1909年(明治42年)8月14日に発生した姉川地震に際し負傷者救助等の被災者支援に従事していたところ、同年10月4日父逸治郎が永眠する。 その後、先輩・友人より再三上京を促され1914年(大正3年)東京に戻り、同年3月神田表神保町の延壽堂病院の委嘱を請け内科部長として、1923年(大正12年)9月1日の関東大震災により病院が焼失するまで民間医療に従事。以降は、東京と郷里守山を往復する悠々自適の生活を送り、1944年(昭和19年)3月守山に帰り翌1945年(昭和20年)3月2日に死去(一部資料は11日と記すが、岡田家過去帳に従う)。
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