長崎県泉福寺洞窟出土品とは? わかりやすく解説

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長崎県泉福寺洞窟出土品

主名称: 長崎県泉福寺洞窟出土品
指定番号 512
枝番 00
指定年月日 1996.06.27(平成8.06.27)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 考古資料
ト書
員数 一括
時代区分 旧石器
年代
検索年代
解説文: 泉福寺洞窟は、佐世保市瀬戸越町字城ノ越に所在する砂岩層に形成され風蝕【ふうしよく】洞窟で、昭和四十五年から六十年まで、佐世保市教育委員会委嘱受けた泉福寺洞窟学術調査団「発掘者」によって、一〇次にわたる調査実施され、現在、史跡として保存整備されている。調査結果遺跡第一洞から第四洞までの各支洞内と、それらの前面形成され旧石器時代から古墳時代にいたる遺物が、堆積する一二層の包含層から出土することが明らかになった。
 本件はこれらのうち、旧石器時代から縄文時代草創期包含層から出土した合計八箇分の土器と、一、七九三箇石器類である。石器類内訳は、細石刃さいせきじん】一、三九六箇、細石刃さいせきじんかく三五七箇主体とし、それに掻器【そうき】・彫器【ちようき】・削器【さつき】・尖頭器せんとうき】・石刃せきじん】・礫器【れつき】・敲石たたきいし】・有溝砥石【ゆうこうといし】で構成される
 これらの遺物は、出土層位遺物組み合わせから、以下のように五つグループ分けられる。すなわち、(一)基盤直上の、土器出現以前ナイフ形石器出土する層(第一一・一二層)、(二)細石刃と、豆粒文【とうりゆうもん土器名付けられた丸底の深鉢形土器に、隆線文【りゆうせんもん】土器が伴う層(第一〇層)、(三)多量細石刃隆線文土器出土し少量豆粒文土器が伴う層(第七九層)、(四)少量細石刃爪形文【つめがたもん】土器が伴う層(第六層)、(五)少量細石刃尖頭器に、いわゆる押引文【おしびきもん】土器が伴う層(第五層)である。
 遺物(二)(三)グループ多くいずれも多数細石刃細石刃出土特徴づけられる。各グループ出土遺物比較すると、出土量の多寡はあるが、(一)グループでは土器出土確認されず、ナイフ形石器等、旧石器時代特有の石器存在するに対して(二)グループでは細石刃量的に増加、その傾向(三)グループ極めて顕著となる。また(二)グループ以降出土する土器は、傾向として豆粒文土器よりも隆線文土器の量が増加する同時に細石刃では、(二)比べて(三)グループの方が、剥離痕が長大化する傾向がある。そして、(四)グループ以降になると細石刃減少し(五)グループでは、これに尖頭器が加わる。
 この一連の出土遺物組み合わせ変化は、大陸起源組み合わせ石器である細石刃が、九州北部では土器の出現以後にも盛行し、やがて衰退次の石器交代していく様子連続的に物語る。また豆粒文土器は、わが国における最古段階土器一つ考えられる薄手で口縁がやや内彎した深鉢形土器で、丸底につくられ底部は、円盤状の粘土接合して形成されている。外面には、名称の由来である小さな豆粒状の粘土を、規則的に貼り付ける。なお、隆線文土器には、隆線文と豆粒文を同一箇体に採り入れたものもあり、両者型式学的な連続性も明確である。
 本件は、遺物出土状態が層位的にとらえられる洞窟遺跡出土品好例であるとともに旧石器時代から縄文時代への移行あり方が、細石刃中心とした多量石器類組み合わせからも復元でき、加えてわが国における初期土器と、その型式学変化をたどることができる等、高い学術的価値持っている
 なお、石器製作に密接な関連のある、石核せきかく】・剥片はくへん一六三箇も、附として共に保存図りたい



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